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誹謗中傷でもなんでもない ー 汚染地域での清掃活動批判


福島第一原発付近の国道6号線は、昨年通行できるようになりましたが、未だに車で通り抜けるだけで、自転車やバイクはダメという状態です。
その国道6号線で、あろうことか、子供を動員しての清掃活動が先月行われたとか、そしてそれを批判する声が数多く寄せられていることに対して、原発原理主義の産経が、まさに「狂気」に取り付かれたかのような記事を書いています。

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「狂気の沙汰」中高生らの清掃活動に誹謗中傷メール1千件…反原発派の“非常識”
産経新聞 11月24日(火)10時35分配信

 「明らかな犯罪」「殺人行為」-。東京電力福島第1原発が立地する福島県沿岸部の国道6号で10月、地元の中高生らが参加した一斉清掃活動の主催団体に対し、約1千件にも上る誹謗(ひぼう)中傷の電話やメールなどが寄せられていたことが分かった。地元の高校生が道路沿いに捨てられたごみの多さに見かねて声を上げ、5年ぶりに行ったボランティア活動。必要以上に放射線被曝(ひばく)を恐れる人たちによる、子供たちの思いを踏みにじる中傷行為に地元の関係者は胸を痛めている。(野田佑介)

■「懐かしい」とほほ笑む中学生

 「あったあった、ここにも」。10月10日、今は原発事故の収束拠点となっているサッカー施設「Jヴィレッジ」(広野町、楢葉町)にほど近い国道6号の歩道沿い。

 マスクを着け軍手をはめた一団が草むらから火箸でごみを拾い上げ、ポリ袋に次々と入れた。ペットボトルに空き缶、菓子箱にビニールひも、さらには看板のようなものまで。

 生い茂る雑草に隠れて見えづらいが、火箸で草をよけると次から次へと見つかった。開始から2時間余りで子供たちの袋はいっぱいになった。

 震災前までJヴィレッジで活動していたサッカークラブに所属し、チームの仲間たちと参加した中学3年の男子生徒(15)=いわき市=は開口一番、「懐かしい」とほほ笑んだ。

 原発事故以来、初めてJヴィレッジ近くまで来たといい「(施設の)環境がいい。ここで練習したい」と目を輝かせた。放射線量への不安はないかと尋ねると「自分の意思で来ました。気にはしません」と語った。

■高校生が再開を持ちかける

 「みんなでやっぺ!! きれいな6国(ろっこく)」と題した清掃活動は、平成19年から毎年秋に行われてきたが、東日本大震災と原発事故のため22年を最後に中断していた。

 今年3月、国道6号であった桜の植樹イベントに参加した地元の高校生が、道路沿いに捨てられたごみが多かったことに心を痛め、「6国」の主催団体の1つ、NPO法人「ハッピーロードネット」の西本由美子理事長(62)に開催を持ちかけた。

 高校生の思いに共感した西本理事長は「自分の考えを持って故郷のことを考えてくれている子供たちの思いを尊重したい」と活動再開へ奔走。その甲斐あって、国や県、沿線の自治体から後援を受けた。

 ところが、活動の実施を告知した9月中旬ごろから、このNPOに誹謗中傷の電話やメール、ファクスが県内外から届き始める。

 「若者を殺す行為」「美談にすり替えた子供への虐待」「狂気の沙汰だ」-。中には、主催団体の関係者に危害を加えることをほのめかしたものもあった。10月末までに、こうした誹謗中傷のメールなどは、1千件にも上った。

■「子供の希望を踏みにじるな」

 清掃当日。北は宮城県境の新地町から、南はいわき市まで全8区間計約50キロで、中高生約200人を含む総勢約1400人が参加した。避難区域となっている区間は大人が担当し、中高生はそれ以外の一般の居住地域となっている区間を受け持った。

 「(国道6号が通る)この地区は自分たちのルーツ。地元のために何かしたいと思っていた」。大熊町出身の高校2年の男子生徒(17)は参加の理由をそう語った。

 生徒は会津若松市などに避難し、現在はいわき市の新居で暮らしている。実際にごみを拾って歩いた広野町の様子を「小さいころから遊びに来ていた。景色は変わっていないけれど人が少なくなった」と寂しげ。それでも「こうして、ここに立てるようになったということは復興が進んでいるということだと思う。参加できてうれしい」と笑顔を見せた。

 国道6号を通って学校や買い物に行っていたという高校2年の女子生徒(17)も思いは同じだ。浪江町で生まれ育ったが自宅には戻ることができず、いわき市で生活する。「浪江の家への行き方も忘れてきている。思い出の詰まった故郷の力になりたいと思ったのでよかった。まちがきれいになりやりがいを感じる」と話したが、「本当は浪江の近くにも行きたかった」と漏らした。

 活動に参加したいわき市出身の会社員(36)=仙台市=は「地域のことを考えている若者がたくさんいることが分かった。被災地の希望だ」と話した。

 西本理事長は「子供たちが安全に参加できるよう確認していた。除染で線量は下がっており、活動当日も計測したが被曝線量は日常生活の範囲内だった」と強調する。活動に参加した子供たちが誹謗中傷にショックを受けているといい、「賛否があるのは仕方ないと思うが、実際にこの地で生活している人がいる。故郷を思う子供たちの希望をなくすようなことはしてほしくない」と訴えた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151123-00000508-san-soci
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いくら「故郷を思う」気持ちがあったとしても、放射線被曝の懸念がある以上、そして、現在も通過しか許されていない国道で、清掃作業をするなんて、まさに「狂気の沙汰」です。

被曝線量を計測したなんて言ってますけど、全員にバッジを着けさせたんですか?
そんなことやっていないでしょ。
ただ、何点か自分達に都合の良さそうな場所で適当に計測してだけってことは明々白々。

記事には「生い茂る雑草に隠れて見えづらいが」なんて書いてますけど、そんな場所は除染されているといっても、空間線量が基準値以下に下げただけで、放射能を持つ土壌や草が残っている。
そういうものに直接触れるに等しい行為を「子供」にさせているんですから、「若者を殺す行為」「美談にすり替えた子供への虐待」という指摘は、まさに的を射ていると言えます。

原発推進派は、子供達を道連れにして、「日本人は被曝しているのが当たり前」という状況を作る事で、根本的な安全対策など取りようが無い原発を動かし、自分達の利権を守ろうとしている。
自分達の利益のために、日本人全てを犠牲にしても構わない、そういう「狂気」に取り憑かれている。

それが如実に現れているのが産経のこの「狂気」の記事です。
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お手上げと言ったのに ー 共同通信「全電源喪失の記録~証言 福島第1原発 最終章」の虚構8

(7)火災が発生して青ざめたはずなのに

共同通信が配信した「全電源喪失の記録~証言 福島第1原発 最終章」に記された「事実」を炙り出すシリーズ、その8です。

退避した所員を呼び戻した吉田所長ですが、その場面において不思議な状況判断がなされています。

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(第11回)
 全面マスクを装着し、同僚と2人で業務車に乗って2、3号機西側の坂を下っていくと、右手に異様な光景が現れた。
 「お、おい、あれ・・・」
 4号機建屋の4階北側付近から真っ赤な炎が上がり、黒煙が出ていた。稲垣は青ざめた。4号機が燃えている・・・。
 稲垣たちは対策本部に取って返し「4号機で火災」と所長の吉田昌郎(56)に報告した。火元は不明だった。
 4号機の使用済み核燃料プール内には1535体もの燃料が保管されていた。もしプールの水がなくなれば、露出した燃料が大気中に放射線を放出し続ける。建屋が崩壊したため放射線を遮る天井も壁もない。そうなればもう誰も近づけない。
 「4号機で火災発生。1F(第1原発)では手が出ない。自衛隊なり米軍なりに頼んでください。われわれはお手上げです」
 午前9時39分、テレビ会議で吉田が言った。消火活動に回せる消防車も水源もない。それに建屋周辺は高線量だった。
 約1時間前には、2号機原子炉建屋東側のブローアウトパネルと呼ばれる大きな開口部から白煙が出ているのが確認されていた。
 次から次へと起きるトラブルが構内に残った者たちを追い詰めていた。
 この時、対策本部にいた東京電力自衛消防隊副隊長の新井知行(42)は身が凍る思いだった。
 「ここが墓場になるのか、と思いましたね。僕が一番、精神的にきつかったところです」

--
(第12回)
 退避を命じた早朝の時点で吉田は、2号機の圧力抑制室に大穴が開いて大量の放射性物質が放出され続ける、と考えた。だが正門付近の放射線量は午前9時の毎時1万1930㍃シーベルトをピークに徐々に下がっていた。抑制室に穴が開いていれば、構内の線量も上がり続けるはずだった。
 2人の話の輪に、4号機の火災を発見して戻ってきた第1復旧班長稲垣武之(47)も加わった。
 「線量は高いですけど、現場の作業ができないほどじゃありません」
 「だけどこの線量じゃすぐに人繰りがパンクするぞ」と吉田が言った。
 残った人間だけで屋外作業を続けていれば、深刻な被ばく者が出るのは避けられない。
 「人がたくさんいないと回しきれないですね」
 免震棟に残った者たちは、一度は死を意識した。家族には二度と会えないと覚悟もした。だが今は、致命的な状況ではない、と認識を改めていた。

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このシリーズの第11回では、4号機の火災により、

『もしプールの水がなくなれば、露出した燃料が大気中に放射線を放出し続ける。建屋が崩壊したため放射線を遮る天井も壁もない。そうなればもう誰も近づけない。』

ことが心配され、

『4号機で火災発生。1F(第1原発)では手が出ない。自衛隊なり米軍なりに頼んでください。われわれはお手上げです』

『次から次へと起きるトラブルが構内に残った者たちを追い詰めていた。』

という緊迫した状況だったことをこれでもかと描写しているのに、次の第12回になるととたんに、

『2人の話の輪に、4号機の火災を発見して戻ってきた第1復旧班長稲垣武之(47)も加わった。
 「線量は高いですけど、現場の作業ができないほどじゃありません」』


『免震棟に残った者たちは、一度は死を意識した。家族には二度と会えないと覚悟もした。だが今は、致命的な状況ではない、と認識を改めていた。』

と、第11回に書かれていた「火災」の問題は全くなかったかのような話になってしまっています。

この稲垣さんという人は、4号機の火災を発見して青ざめたはずなのに、それを報告すると同時に「現場の作業ができないほどじゃありません」と言ったことになっている。
現場の作業ができる程度の事象なら、そんな青ざめたりする必要ないはずじゃありませんか。

本来、火災が起きた、大変だ、お手上げだとなれば、「致命的な状況ではない」と言えるのは、せめてその火災が鎮火してからでしょう。ところが、この時に火災が自然鎮火したのは11時過ぎのこと。それまで時計の針を進めてしまっては、所員が午前中に戻されたこととの矛盾が生じてしまう。
だから火災発生を発見して青ざめた人が、同時に現場で作業ができるなんて言い、吉田所長はそれを真に受けて常識ではあり得ない判断を下したことにして、この矛盾を隠したのでしょう。

で、実際にはこんな判断をしたとは考えがたい。彼らは共同通信の取材に対して、誠実に答えていないと言うべきです。

前エントリとこのエントリで紹介した記事の内容を突き合わせると、この『呼び戻し』は線量や現場の状況が安定しているのを見て決めたんじゃない。
吉田所長は、風向きが変わって正門付近の線量が下がっただけである可能性をおそらく認識していた。そして、火災発生で「お手上げ」と叫んだのも事実。にもかかわらず、所員を呼び戻した判断には、科学的根拠などなく、とにかく戻れという会社の命令が下され、それに吉田所長や第二原発に逃げた人々が従っただけ

そう解釈するのが妥当です。

以上で、このシリーズは一旦締めたいと思います。

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吉田所長の致命的な判断ミス ー 共同通信「全電源喪失の記録~証言 福島第1原発 最終章」の虚構7


(6)逃げる時は見たのに、戻す時は風向きを見なかったの?

共同通信が配信した「全電源喪失の記録~証言 福島第1原発 最終章」に記された「事実」を炙り出すシリーズ、その7です。

一旦は所員を退避させた吉田所長は、その後すぐに彼らを呼び戻します。
その経緯をこの記事ではこんな風に描写しています。

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 もう第1原発敷地内で放射線量の低い場所などなかった。正門付近では午前7時2分に毎時882㍃シーベルトを計測していた。車内には全面マスクを着けていない社員もいる。この場にとどまるのは無理だった。
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 3月15日午前、福島第1原発所長の吉田昌郎(56)ら免震重要棟に残った面々は、状況が「悪いなりに安定してきている」と感じ初めていた。2号機原子炉に海水が注入できていて、構内の放射線量も下がってきていた。
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 退避を命じた早朝の時点で吉田は、2号機の圧力抑制室に大穴が開いて大量の放射性物質が放出され続ける、と考えた。だが正門付近の放射線量は午前9時の毎時1万1930㍃シーベルトをピークに徐々に下がっていた。抑制室に穴が開いていれば、構内の線量も上がり続けるはずだった。
 2人の話の輪に、4号機の火災を発見して戻ってきた第1復旧班長稲垣武之(47)も加わった。
 「線量は高いですけど、現場の作業ができないほどじゃありません」

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 「こっちはなんとか大丈夫そうです。帰ってきてもらえませんか」
 まだやれることがあるー。
 「分かりました」。即答だった。

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 15日午前、復旧班や発電班、保安班の所員たちが徐々に第1原発に戻り始めた。
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これを読むと、一旦は退避させたが、2号機原子炉に水が入り始めて、線量が徐々に下がって来たから、これなら現場で作業ができそうだけど、人手が足りないから、第二原発に電話をして戻って来てくれと頼んだ。
そうしたら、意気に感じた所員が喜んでその頼みに応じて戻って来た、というストーリーが読者の脳内に刷り込まれることでしょう。

でも、事実はどうなのか。
そもそも、本当に線量は下がっていたのでしょうか?

記録によれば、正門付近の線量は、午前9時に11,930μSv/hを記録した後、9時35分には7,241μSv/hと若干下がりますけど、10時15分には再び8,837μSv/hと上昇しており、10時25分に3,342μSv/hとふらついており、まともな技術者なら、このデータを見て「午前9時の毎時1万1930㍃シーベルトをピークに徐々に下がっていた」なんて判断ができるはずがない。
仮に数字から判断するなら、その次に正門付近での測定が行われた12時25分の1,407μSv/hという測定値を見なければ、「下がっている」なんて言えません
即ち、線量の傾向を見て呼び戻したなら、午前中に所員が帰って来るのは不可能

この点で、この共同通信の記者に「証言」している人々は正確なことを話していないと言えます。

そしてもう一点、この記事に書かれていることが正しいなら、吉田所長は線量の測定値の解釈で致命的な間違いをしている。

それは、午前9時に11,930μSv/hを記録した際に、あまりの高線量に「構内退避」をしたのか、MP-4付近に移動して線量を測定しており、その値が9時15分で58μSv/h、9時20分で50μSv/hでしかなかったということ。
即ち、風下でなければ、原子炉からの距離が大して変わらなくても、2桁も線量が低いところが構内にはあったということです。
ということは、逆に言えるのは、構内の正門付近で線量が下がって来ているとの測定値が得られたとしても、その時の風向きによっては、原子炉周辺の線量は全く下がっていない可能性があるということ。
そして現に、この間に風向きは北〜北東から、南東方向に変わっている。それ故、MP-4と同じような方角にある西門付近の線量は、

11:40 253μSv/h,
11:45 162μSv/h,
12:05 2,431μSv/h,南東,1.2
12:10 2,142μSv/h,南東,1.3
12:15 2,434μSv/h,東,1.3


と一気に上昇した。
南東からの風を受けて、おそらく免震重要棟周辺の線量はもっと高くなっていたはずです。正門付近だけの線量を見て、風向きにも注意を払わず(朝の退避の際には「風向きは大丈夫」と確認したことになっているのに)、線量が下がっているから所員を呼び戻すなど、技術者としてはあり得ない判断です。

そして、この「呼び戻し」に関しては、当該記事に、更におかしなことが書かれています。
それを次回紹介します。


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何もできないなら ー 共同通信「全電源喪失の記録~証言 福島第1原発 最終章」の虚構6


(5)「原子炉の監視」すらできなかったということは「全面撤退」したということ

共同通信が配信した「全電源喪失の記録~証言 福島第1原発 最終章」に記された「事実」を炙り出すシリーズ、その6です。

ネタとしては前エントリと同じ「全面撤退」に関してです。
一旦、「退避」を指示した吉田所長ですが、2号機の底が抜けたという判断が誤っていて、放射線量がそれほど上がっていないという理由で、所員を呼び戻します。

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 退避を命じた早朝の時点で吉田は、2号機の圧力抑制室に大穴が開いて大量の放射性物質が放出され続ける、と考えた。だが正門付近の放射線量は午前9時の毎時1万1930㍃シーベルトをピークに徐々に下がっていた。抑制室に穴が開いていれば、構内の線量も上がり続けるはずだった。
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逆に、2号機圧力抑制室に穴が開いていないのならば、まだ原子炉の監視は続けられる。制御室に滞在する時間を極力短くすれば、被ばくも抑えられるはずだ。
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まだやれることがあるー。
「分かりました」。即答だった。

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「2号機圧力抑制室に穴が開いていないのならば、まだ原子炉の監視は続けられる」ということは、即ち、『2号機圧力抑制室に穴が開いた』と判断して、所員の『退避』を命じた時点で、吉田所長はもはや『原子炉の監視』すらできないと認識していたということ。

それはやはり「全面撤退」を命じたということでしょう。

現に、その後火災が発生した時に、

--
「4号機で火災発生。1F(第1原発)では手が出ない。自衛隊なり米軍なりに頼んでください。われわれはお手上げです」
午前9時39分、テレビ会議で吉田が言った。

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残っていた人員は、東電のメンツを守るための人柱。
吉田氏が調書の中で、「使いません、『撤退』なんて」とか「事実として逃げたんだったら言え。逃げていないんだから」などと強弁しているのは、はっきり言って醜悪。

我々が、あなた方が撤退しようとしたか否かを判断するのは、あなた方のメンツを守るための言葉遊びではなく、放射能汚染の被害から国民を守る努力を続けたか否かであり、「やれることがない」状態にしたということは、あなた方はその努力を続けることを諦めた、即ち全面撤退したということです。

続きます。

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残った人が死ぬなら ー 共同通信「全電源喪失の記録~証言 福島第1原発 最終章」の虚構5


(4)残る人が死ぬということは全面撤退だったということ

共同通信が配信した「全電源喪失の記録~証言 福島第1原発 最終章」に記された「事実」を炙り出すシリーズ、その5です。

3月15日の朝、9割の所員が第二原発へ行ってしまった事実が「命令違反」ではなかったことを主張するため、この共同通信の記事では、残った人が死を覚悟していたこと、そして逃げた人々もそれを意識していた事を、臨場感たっぷりに書いています。

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「自分たちがこの免震棟から退避させられるということは、残る人たちが死ぬということを意味していると思いました」
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ホワイトボードには復旧や発電、保安など各班で残った社員たちの名前が書き込まれていった。それはまるで墓標のようだった。
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もう妻には会えない、と思ったが、それ以上、言葉が出てこなかった。
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これが最後の食事になるのか・・・。
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おそらく、ここに書かれている「証言」は本物でしょう。
あのとき、現場に残った人々が悲壮な覚悟をしていたのは、想像に難くないし、その思いを否定するつもりも、貶めるつもりも、全くありません

ただ、そうだとすると、その時、彼らは福島第一原発がどういう状態になると思ったのでしょうか?

残った人々が全員死んでしまうような状態と言えば、燃料がメルトスルーして、どうにも手がつけられなくなり、免震重要棟に残った人々はその原子炉の暴走に巻き込まれて全員死亡するというイメージでしょう。

おそらく、上のような「証言」をされている人々は全員そう思ったはずです。

そして、吉田所長などは「構内に退避」しているはずの他の所員は、ひょっとしたら逃げられるかもしれない、で、彼らが第二原発まで逃げてしまったと聞いても、「別にやれることは何もないからまあいいか」、そんな風に考えていたのではないでしょうか。

さて、そうだとすると、この時の「退避」とは何だったんでしょうか?

残った者は全員死ぬ。つまり、ギブアップしたということであり、即ち、この「退避」とは「全面撤退」

明白です。

続きます。

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