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私は評価します>ネトウヨ内閣記事

東京新聞と中日新聞が、安倍政権をネガティブに評価する人々の意見を載せたところ、ネットを中心に騒ぎになっているとか。

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「ネトウヨ内閣」「国防軍オタク内閣」… 東京・中日新聞新内閣記事に苦情電話が殺到
2012/12/28 18:15

東京新聞と中日新聞が2012年12月27日付朝刊に掲載した安倍内閣に関する特集記事が、「最低すぎる」「便所の落書きレベルだ」と読者やネットユーザーから厳しい批判を浴びている。
各界有識者に新内閣の印象を閣僚人事などから語ってもらうという内容だが、「ネトウヨ内閣」「厚化粧内閣」など紙面の大半を否定的な評価で埋めてしまったからだ。中日新聞名古屋本社には27日だけで100本近くの電話が殺到し、担当者は頭の下げっぱなしだったという。

「『敗者復活』の『逆戻り』」「『改憲』狙いの『厚化粧』」

「安倍新内閣 名付けるなら」というメーン見出しの特集記事にコメントを寄せた識者は、慶応大教授の金子勝さん、エッセイストの北原みのりさん、作家の宮崎学さんら計10人。それぞれのネーミングを紹介すると、「戦争ごっこで遊びたい『ネトウヨ内閣』」と名付けたのは北原みのりさん。宮崎学さんは「国防軍オタク内閣」と評し、政治評論家の森田実さんは、閣僚メンバーに極右が目立つとして「極右はしゃぎすぎ内閣」と名付けた。
慶応大の金子勝教授は甘利明氏を経済再生担当相に起用したことを問題視し、脱原発に逆行する「逆戻り内閣」とネーミングした。高崎経済大の國分功一教授は、憲法改正や日銀法改正に絡む安倍首相の発言などから「学力低下内閣」と命名し、元沖縄県知事の大田昌秀さんは「新内閣は『改憲内閣』になりかねない」。人材育成コンサルタントの辛淑玉さんは、党役員に女性を起用してタカ派の素顔を隠す「厚化粧内閣」と指摘した。
このほか、作家の高村薫さんはそこそこの優等生を集めた点で「そつなくまとめてみました内閣」、脱原発デモ主催者の松本哉さんは「まぐれ敗者復活内閣」「期待度ゼロ内閣」、市民団体「子供たちを放射能から守る福島ネットワーク」世話人の椎名千恵子さんは「福島圧殺内閣」と名付けている。
ちなみに東京新聞のサブの見出しは、太い黒文字で「『敗者復活』の『逆戻り』」「『改憲』狙いの『厚化粧』。中日新聞のレイアウトは、右手を挙げて官邸入りする安倍首相の全身写真の周りを「ネトウヨ」「改憲」「学力低下」などのネーミングが取り囲んでいた。

「記事擁護の電話は皆無だった」

東京新聞(中日新聞東京本社発行)と中日新聞によると、物議を醸したこの特集記事は、東京新聞特報部が取材・執筆した。特報部の記事は東京新聞だけでなく、中日新聞にもレイアウトや一部見出しを変えて掲載されており、発行部数270万部を誇る中日新聞の名古屋本社には掲載日の27日早朝から抗議の電話が殺到した。
名古屋本社読者センターによると、電話は27日だけで100本近くになり、数は減ったとはいえ28日も相次いでいるという。ほぼすべてが怒りの電話で、「よく書いた」という声はほとんどなかった。「余りにも偏った記事」「評価する声を敢えて無視したのか」といった意見が多かったという。
発行部数約55万部の東京新聞への苦情電話は27、28日を合わせて10本程度だった。東京新聞特報部に「なぜ否定意見ばかり載せたのか」と質問したところ、「他にも多くの人に依頼したが断られるなどしてこの10人になった」と回答した。「結果として『バランスを欠いている』と指摘されれば否定はできないし、もう少し(表現について)オブラートに包むべきだったかもしれない」とも答えた。
一方、この記事を巡っては当然のようにネットユーザーも燃え上がった。
「便所の落書きレベル」「ユーモアに昇華させるセンスも無いのか」「マスゴミ…さすがに品がなさすぎるぞ」「中日新聞を命名するとお下劣新聞だ」「赤旗のほうがなんぼかマシだ」「中日新聞、徹底的に叩くぞ」。
こうした意見がネットの掲示板やツイッターに途切れることなく書き込まれた。
「思想の左右は置いておくとして、いくらなんでもこれは報道ではないだろう」「この新聞壊れてしまったの?」「さすがにこれは言論の自由を履き違えてはいないか」
と言論機関としての基本姿勢に疑問符をつけるコメントも多かった。
記事を評価する意見はないかと目を凝らして探したものの、見つけることはできなかった。

http://www.j-cast.com/2012/12/28160077.html
--

まあこの記事は、実際の記事の順番とは逆に、ネットの騒ぎを見てJ-Castは記事にしようと思い、両社に問い合わせたんでしょう。だから、「殺到」なんて言っている割には抗議電話の数は大したことない。大騒ぎしているのはネトウヨ達がほとんどと言ってよさそうですね。

だいたい、偏っている記事という点では、民主党をはじめとする極右以外の政党に難癖を付け続け、気持ち悪いくらいに安倍晋三をヨイショし続けて来た産経新聞の右に出るものなどいないではありませんか。
それを取り上げず、こんな記事を書くJ-Castも偏っていると言って良いでしょうね、このネトウヨさん達の認識なら。

で、勝手に「記事を評価する意見はないかと目を凝らして探したものの、見つけることはできなかった」なんて書いてますけど、その記事を当然と思う人は、わざわざそんな意見を書いたりしないだけのこと。

そんな意見は、同じ土俵で聞いてあるか無いか比較しなければ全く意味が無い。

印象操作、あるいは勝手に勝利宣言ってやつですね。

もちろん、私はこの記事を評価しています。

「ネトウヨ」「極右」安倍政権誕生は、日本にとって2012年最大の不幸でした。
2013年はもう少しマシな年にしたいものです。
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テーマ : 安倍内閣 - ジャンル : 政治・経済

日の丸・君が代に関するgoldbugさんへのお返事(Afternoon Cafeさんより)(2)

一昨日のエントリ日の丸・君が代に関するgoldbugさんへのお返事(Afternoon Cafeさんより)』に対して、goldbugさんからコメントをいただきました。

返信が長くなりそうなので、新たなエントリを作ります。

------------------------------
白砂さん、まずこうした場を設けて頂いて有難うございます。秋原さんにずいぶん不快な思いをさせてしまったと、少々落ち込んでおりました。こちらにもいらしているようなので、改めてお詫びします。

さて本題ですが、私は教育は国家事業だと思っています。国民が資金を出し合って、国家が運営するプログラムです。ちょっと国家が教育から完全に手を引いてみたらと想像してみましょう。公立校は全部民間に売却します。義務教育も廃止です。親はどこでも好きな学校に子供を通わせることが出来、自宅で教えても構いませんし、全く教育を与えなくても自由です。文部科学省も学習指導要領も廃止です。学校はどんな教科書を使って何を教えるか全く自由です。先生の資格も廃止です。学校は自分の責任で誰を先生として雇うことも可能です。

そんな環境ではマドラサのような学校がろくに読み書きも教えず、他者への憎しみだけを植え付けるようなことも起こり得るでしょう。それを考えれば国家が教育に果たす役割がいかに大きいかが分かるでしょう。国家が国の責任として、国の将来を担う子供達が受けるべき教育の基準、枠組みを決めているのです。

ですから卒業式は学校行事であると共に、国家行事の側面も備えていると思います。卒業式の当事者はそこに出席する人だけではなく、国家の構成員全てであるわけです。ですから卒業式はどのような形式であるべきかについて、誰もが意見を持つ権利があると思います。

教育は国家百年の計という言葉があります。国の将来を決めるのは教育次第だと言っても過言ではないでしょう。それほど国家にとって重要な教育における節目節目において、国家がその存在を示して何が悪いのでしょうか。国家はそれにふさわしい役割を担っているのですから。国の将来を担う子供達を育てるために国が用意したシステムです。そのシステム自体に異議があるならいざ知らず、みんな満足して子供達の教育を任せているのではないのですか?それなら国は顔を出すなと言う必要などどこにもないと思います。むしろ国家としてあなたたちの門出を祝っていると子供達に知ってもらうべきでしょう。

卒業式に国旗国歌を持ち込むべきかどうかを決めるに当たって、構成員は国民全部ですね。国民の税金で行われる式です。主催者は国民全員です。国旗国歌を持ち込むかどうか、国民全員が自分のこととして決めるって事です。その時式に出席する人だけが当事者って事ではないでしょう。と言うか、義務教育なんだから、式に出席する人が当事者とするとしても、やっぱり国民全員ですけどね。

沖縄の基地の例えですが、それは国民の一部の人にだけ負担を負わせるって話で、国旗国歌の場合は別に特定の人だけに押しつけるわけではありませんね。全員が同じ経験をするわけです。

ここで対立する意見は「国旗国歌のある卒業式を挙行しよう」と、「卒業式に国旗国歌はいらない」という意見です。国旗国歌がなければ人権侵害だなどとは誰も言っていないでしょう。そしてそれが基本的人権を侵害しないことというハードルを越えたなら、あとは多数決に従うしかないでしょう。それ以外に決める方法は思い付きません。

ここまでで気がついたことですが、国旗国歌に反対している人達は、日の丸君が代が過去の不幸な歴史を象徴しているから反対だと言ってはいますが、実はそれだけではなくて、国旗国歌の持ち込みそのものに反対していることです。過去の不幸な歴史を言うなら、国旗国歌を日の丸君が代から別のものに変えれば問題ないはずですが、それでもまだ反対と言うのではないでしょうか?

つまり嫌なのは国旗国歌ではなく、国そのものですね。国防軍だと威勢のいい安倍政権を嫌うのは分からないでもないですが、白砂さんの支持政党が何かは分かりませんが、例えば共産党だったとして、共産党が政権を取り、9条を堅持し、弱者を最優先するあなたにとって理想の政府が出来たとしたら、それでもまだ国は顔を出すなと言いますか?

戦後民主主義の教育システムは戦前と違い、自由で平和で繁栄した国を作る、そのための人を育てるためのシステムでしょう。日の丸君が代を押しつけることでそれと反対の道を進ませようとしている人も中にはいるのかも知れませんが、そんなことが出来るとは思えませんね。ほとんどの人は今の制度は民主的な国造りをめざすもので、その制度を支える国が大事な節目に顔を出すのはふさわしいことだと思っているのではないでしょうか。
------------------------------

これに対しての私の答えは以下の通り。

==============================

さて本題ですが、私は教育は国家事業だと思っています。国民が資金を出し合って、国家が運営するプログラムです。

そうあってはならない、というのが戦前の日本の教育に対する反省であり、先進国と呼ばれる民主主義国家の常識でしょう。

そんな環境ではマドラサのような学校がろくに読み書きも教えず、他者への憎しみだけを植え付けるようなことも起こり得るでしょう。それを考えれば国家が教育に果たす役割がいかに大きいかが分かるでしょう。国家が国の責任として、国の将来を担う子供達が受けるべき教育の基準、枠組みを決めているのです。

「ろくに読み書きも教えず」なんて学校に、子供を通わせる親がどれだけいると言うのです。そういう極端な例があたかも一般的であるかのように装って否定するのは、詭弁ですね。

そして、あなたの言う「国家」とやらがその責任において行う教育で、「ろくに読み書きも教えず、他者への憎しみだけを植え付けるようなことも起こり得る」のであり、現実に非民主的と言われる政体の国では、異なる政治的方向性の持ち主を極端に貶めるような教育を施すことで、教育を為政者が自分達の権力を維持する道具に使っているのは否めないでしょう。
あなたの持っている「危惧」に対して、あなたが主張する方法は何の解決策にもなっていません

ですから卒業式は学校行事であると共に、国家行事の側面も備えていると思います。卒業式の当事者はそこに出席する人だけではなく、国家の構成員全てであるわけです。ですから卒業式はどのような形式であるべきかについて、誰もが意見を持つ権利があると思います。

だったら、民主主義国家の行事として、思想・良心の自由こそをそこで実践するべきでしょう。
そこで、日の丸・君が代の強制を行うということは、日本が思想・良心の自由を捨てるべきである。少数者の権利など認める必要は無いと、あなたは主張しているのと同じですよ。

教育は国家百年の計という言葉があります。国の将来を決めるのは教育次第だと言っても過言ではないでしょう。それほど国家にとって重要な教育における節目節目において、国家がその存在を示して何が悪いのでしょうか。

民主主義国家において、一つの政権が「百年」も続いたら大問題じゃありませんか。
民主主義国家において「国家百年の計」を語るなら、時の政権の考え方と異なる思想を持つ事も、またその主張をすることもできるのだということこそ、「教育」すべきなのであり、国家を重視すればするほど、「政治」とは距離を置くべきであるということですよ。
あなたの言う「国家」とは時の「政権」のことでしかない。
あなたは、将来日の丸・君が代に対して否定的な考え方を持つ政権が成立するかもしれないなんてことを、少しも考えてはいないでしょ。

そんな一つの思想を押し付けるようなことを教育の名の下に行うなんてことは、それこそ「国家百年の計」から見れば害悪でしかありませんよ。

国の将来を担う子供達を育てるために国が用意したシステムです。そのシステム自体に異議があるならいざ知らず、みんな満足して子供達の教育を任せているのではないのですか?それなら国は顔を出すなと言う必要などどこにもないと思います。むしろ国家としてあなたたちの門出を祝っていると子供達に知ってもらうべきでしょう。

教育の内容にまで時の政権が口を挟み、自分達に都合の良いような国民を養成しようとするシステムなんてものに、私は満足することなどありませんし、余計なお世話という人の方が多いと思いますね。
でなければ、何でこんなに私立の小中学校なんてものが存在しているんです?

卒業式に国旗国歌を持ち込むべきかどうかを決めるに当たって、構成員は国民全部ですね。国民の税金で行われる式です。主催者は国民全員です。

だったら、あなたの結婚式も親族のお葬式もそうですよ。国がその税金を使って認定を行っているのですから。

国旗国歌を持ち込むかどうか、国民全員が自分のこととして決めるって事です。

で、そんな決定を何時、国民全員に聞いたんです?

沖縄の基地の例えですが、それは国民の一部の人にだけ負担を負わせるって話で、国旗国歌の場合は別に特定の人だけに押しつけるわけではありませんね。全員が同じ経験をするわけです。

全員が同じ経験なんて妄想もたいがいに。
圧倒的多数の人々は、自分自身や子供が関係していなければ学校行事なんてものには無縁です。全員が同じ経験だなんて、実際に式に出て君が代を歌わせられる人々と、無関係な野次馬を同列に扱うなど乱暴もいいとこですよ。

本当に「全員が同じ経験をする」状態を作るなら、やはり、結婚式もお葬式も、儀式と名のつくものには全て「日の丸・君が代」を式次第に入れさせなければなりませんね。
でも、それはあなた自身が「場違い」と否定した。
つまり、あなたは「全員に同じ経験」なんてさせるつもりはさらさら無い。ただ、教育現場にだけ押し付けようとしているってことは、既に明らかなんですよ。

ここで対立する意見は「国旗国歌のある卒業式を挙行しよう」と、「卒業式に国旗国歌はいらない」という意見です。国旗国歌がなければ人権侵害だなどとは誰も言っていないでしょう。

だったら、あなたの言う「国旗国歌のある卒業式を挙行しよう」は対立する意見の資格を満たさないってことです。だって相手方は人権侵害を訴えているのですから。

そしてそれが基本的人権を侵害しないことというハードルを越えたなら、あとは多数決に従うしかないでしょう。それ以外に決める方法は思い付きません。

だから、思想・良心の自由を制約していると裁判所は言ってます。
加えて、多数決なんて取っていないではありませんか。
対立する意見とは「国旗国歌のある卒業式でなければ、自分の人権が侵害される」であり、それが多数であったなどという調査結果を私は見たことがありません。

過去の不幸な歴史を言うなら、国旗国歌を日の丸君が代から別のものに変えれば問題ないはずですが、それでもまだ反対と言うのではないでしょうか?

ですから、そんなものを押しつけさえしなければ、日の丸・君が代だって対して問題ではないんですよ。国旗だ国歌だなんて言ったって、オリンピックの表彰式くらいでしか出てこなければ、不幸な歴史があったって、ほとんどの人は気にしない。
そういう存在にしておけってことです。

つまり嫌なのは国旗国歌ではなく、国そのものですね。

違いますね。嫌なのは国旗国歌ではなく、それを利用して、他人の思想・良心の自由の侵害を平気で行おうとするあなた方、そしてそのあなた方が支持する自称「保守」の政権です。

ある意味、日の丸・君が代も気の毒だとは思ってますよ。あなた方に汚されて

あなたにとって理想の政府が出来たとしたら、それでもまだ国は顔を出すなと言いますか?

もちろんです。
「教育は国家百年の計」なんですから。


戦後民主主義の教育システムは戦前と違い、自由で平和で繁栄した国を作る、そのための人を育てるためのシステムでしょう。

ちょっと違うでしょうね。

旧教育基本法に書かれていた教育の目的は、

『平和な国家及び社会の形成者として真理と正義を愛し個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない』

「国を作る」ことは目的じゃありません。作るのは「国民」であり、しかも「個人の価値をたつとび」です。

一方、前の安倍内閣によって改訂された現教育基本法に書かれている教育の目的は、

『教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。』

こちらですら、「国を作る」なんてことは目的とされていません。

日の丸君が代を押しつけることでそれと反対の道を進ませようとしている人も中にはいるのかも知れませんが、そんなことが出来るとは思えませんね。

出来るだろうし、現にあなたはそれを目指しているではありませんか。
「国家百年の計」と言いながら、その間、日の丸・君が代に対して、自分とは異なる価値観を持った政権が出来ることはこれっぽっちも考えていない。
即ち、そのような多様な考え方が共存するような民主的な国ではない日本にするために、「国の意志」で教育するんだとおっしゃっているではありませんか。

そういう本音が、あなたの書き込みのそこかしこから漏れ出て来ていますよ。

ほとんどの人は今の制度は民主的な国造りをめざすもので、その制度を支える国が大事な節目に顔を出すのはふさわしいことだと思っているのではないでしょうか。

あなたは、秋原さんのところで

『そしてどんな社会、国であっても儀式で国旗国歌に敬意を払うのは常識だと思います。起立し、斉唱するのがデフォルトってことです。国旗に対して起立もしなければ、国歌を斉唱もしないというのはいわば常識外れの状態です。』

なんてお書きになってましたけど、それに対して、一般的に先進国と呼ばれる民主的な国では学校行事に国旗国歌なんて持ち込まないのがデフォルトだと教えて差し上げましたよね。

にも関わらず、ご意見を変えないということは、この点からも、あなたは「民主的な国造りをめざす」必要は無いとお考えになっていると、判断されますね。

===============================

そんなに日の丸・君が代が好きなら、せいぜい自分主催の結婚式でもお葬式でも使って下さいな。
でも、それを他人に押し付けないで下さい、民主的な政体を持つ日本を維持しようと思うならってことです。
民主的な政体を維持のためには、思想・良心の自由を守るのが基礎の基礎であり、それに必要なのは「調べない」ということなのですから。

では。

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日の丸・君が代に関するgoldbugさんへのお返事(Afternoon Cafeさんより)


秋原葉月さんのAfternoon Cafeで、「これが日の丸君が代の本質」というエントリがアップされました。

http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-482.html

そこでgoldbugさんという方と何回かやり取りをやらせていただいたのですが、秋原さんもこれ以上は望まれないようでしたが、その私宛の最後のコメントもまた、なかなか興味深い内容であったので、こちらで紹介の上、そのお返事を書かせていただきたいと思います。

ちなみに、goldbugさんにはいつものように「自分の主催する結婚式やお葬式の式次第に日の丸・君が代は入れるのか」と聞いたところ、「私的な行事だから入れない」とお答えになっています。

------------------------------
白砂青松0715さん

公と私の違いは詰まるところお金でしょうか。
結婚式や葬式でお金を出すのはその当事者です。どんな式にするかはその人達の自由であり、もしやりたいなら日の丸を掲げて君が代を歌っても構わないでしょう。
入学式や卒業式もある意味同じです。どんな式にするのかは当事者が決めることです。
そしてこの場合当事者は税金を払っている国民みんなです。

結婚式や葬式で誰かが日の丸を掲げたいと言い、別の誰かがそんなのは嫌だと言ったらどうしましょう。
話し合って決める。それでも決着が付かなかったら親戚一同で多数決にでもしましょうか。
入学式や卒業式ならどうでしょうか。意見が衝突したら、結局多数決にするしかないでしょう。

ここで重要なことは誰の人権も侵されていないことです。裁判所がそう言いました。
多数をもってしても奪い得ない権利がある。
それを逆に言うなら、人権が侵害されていないなら、多数に従うのが民主主義って事です。
誰の人権も侵害されていないのに、少数の意見が多数の意見を押しのけるとしたら、それこそ民主主義の否定です。

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これに対しての私の答えは以下の通り。

==============================

>公と私の違いは詰まるところお金でしょうか。

あなたが「私」に区分するものにも、税金はいろんな形で使われていますよ。

>そしてこの場合当事者は税金を払っている国民みんなです。

では、税金が使われている行事では全て日の丸/君が代を持ち込まないと常識はずれってことになりますね、あなたのお考えなら。
でも、世の中、日の丸・君が代なんて無い行事、儀式ばかりですよ、実際には。
先日も「どんな社会、国であっても儀式で国旗国歌に敬意を払うのは常識」なんて言ってましたけど、観念だけで語らずに、良く周りを見てご覧なさい。

>結婚式や葬式で誰かが日の丸を掲げたいと言い、別の誰かがそんなのは嫌だと言ったらどうしましょう。
>話し合って決める。それでも決着が付かなかったら親戚一同で多数決にでもしましょうか。

ですから、「ご自分が主催する」とお聞きしたんですけどね。
その場合、お金を出すのはあなた。即ち、別の誰かに「そんなのは嫌だ」なんて言う権利は無い。それがあなたの「常識」なのではありませんか?
だったら、「当事者」たるあなたの意志で、結婚式にも、お葬式にも、「日の丸・君が代」を式次第に入れる、そうならなければ、あなたの言っていることに整合性が取れません。

というか、ホントにあなたは「話し合って決める」つもりですか?

自分の主催する儀式の内容で、誰かが「そんなのは嫌だ」と言わせてしまったら、普通はそれだけで主催者失格。
「話し合って決める」とか「多数決」以前に、誰かに「そんなのは嫌だ」と言われそうなことは行事の中に入れない。それができないような主催者は、ゲストのことよりもホストたる自分の欲求を優先する、あなた流に言えば「空気が読めていない」者とみなされる。
それが現実の社会ってものですよ。

で、実はあなたもそう思っているから「もちろん入れません」なんでしょ?

自分が責任を負わなければならないものには、とても誰かが嫌がるだろうものは怖くて入れられない。ところが、学校行事なら自分には直接責任がないものだから好き勝手なことが言える。違いますか?

>ここで重要なことは誰の人権も侵されていないことです。裁判所がそう言いました。

裁判所はそんなことは言ってませんよ。
あの職務命令は、個人の人権(思想・良心の自由)を間接的に制約するものだけど、教員という立場では受忍し得るものだったと言っているだけです。制約を受けることは最高裁も認めています。

>多数をもってしても奪い得ない権利がある。

これは「民主主義国には多数をもってしても奪い得ない人権がある」という命題をあなたが言っていると解させていただきます。

>それを逆に言うなら、人権が侵害されていないなら、多数に従うのが民主主義って事です。
>誰の人権も侵害されていないのに、少数の意見が多数の意見を押しのけるとしたら、それこそ民主主義の否定です。

論理のルールを全くご存知ないんでしょうね。
ある命題の真偽と、その「逆」の命題の真偽は一致しないというのは、論理の初歩の初歩なんですけどね。

「民主主義国には多数をもってしても奪い得ない人権がある」に真偽が一致する命題は、その対偶にあたる「多数をもってしても奪い得ない人権がないのは民主主義国ではない」だけです。

しかも「逆」にすらなっていない。

「民主主義国には多数をもってしても奪い得ない人権がある」の逆命題は、「多数をもってしても奪い得ない人権があるなら民主主義国である」です。

仮に「逆」の真偽が一致するとしても、あなたの言う「多数に従うのが民主主義」なんて概念が入って来るのは、そこで話をすりかえているってことです。

で、人権が侵害されていないなら、多数に従うって、それのどこが民主主義なんです?
民主主義とは構成員全員が権力者という体制を是とする思想を言うのであり、多数決なんていうのは、その意思決定の一手法に過ぎません。

そして、あなたの言う「少数の意見」とは自分のことを自分で決めたいという話。一方「多数の意見」とは他人のことを自分が決めたいという話。つまり、「構成員」の範囲がそもそも違うってことです。
自分のことを決めるのか、他人のことを決めるのかでは、意見の重みに差があって当然であり、単純な数で比較すべきものではありません。

例えてみれば、沖縄の基地問題のようなある地域に取って悪影響がある問題を、日本国民全体で見れば多数意見だからといって、地域の声を無視して沖縄に押し付けておけば良いと言っているのがあなた。

もう一つ例え話をすれば、日本と中国が領有権を争っている尖閣諸島がどちらに帰属するか、それを当事者の投票で決めましょう、結果はおそらく圧倒的な差で中国の領土が多数意見となるでしょう、無人島の帰属が移ったって誰の「人権」も侵害しないのですから、日本国民もそれに従いましょう。
こんなことを言っているのもあなたってことになります。

==

そして、もし、この「日の丸・君が代が式典に持ち込まれるのは、自分の思想・良心の自由の侵害だ」という意見が「少数の意見」だと言うなら、比較すべき「多数の意見」とは、構成員の範囲を揃えれば「日の丸・君が代が式典に持ち込まれないのは、自分の思想・良心の自由の侵害だ」の筈です。

さて、この後者のような意見は本当に「多数の意見」なんでしょうか?
私は否だと思います。

もしそうなら、世の中で行われる数多くの式典の度に「日の丸が無かった、君が代が歌えなかった」という抗議の声があがり、それを「思想・良心の自由の侵害だ」という訴訟が起こされている筈ですから。

でも、私はそんな訴訟は聞いたことが無い。

ということは「式典に日の丸・君が代を無理に持ち込まない方が良い」が、実は『多数の意見』に従ったやり方だということです。

==============================

以上です。

>goldbugさん

反論はコメント欄にどうぞお書き下さい。

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明日は投票日

衆議院の投票日が明日に迫りました。

マスコミの伝える選挙情勢は、見ていて気が滅入るものばかりですけど、それでも自分のやるべきことをきちんと果たしに、明日は行きたいと思います。

安倍自民党に投票しようという人が何を考えているのか、正直言って私には理解不能。
そうは言ってもそれはそれでその人達の選択なのですから、何らかの理由があるはず。

あの時代錯誤の改憲案など、もっとその危険性を訴えて行くべきだったとも思いますが、諸般の事情でこの選挙期間中にあまり書き込みができなかったのが残念です。

護憲を訴えている政党が何とか頑張ってくれることを祈ります。

テーマ : 衆議院解散・総選挙 - ジャンル : 政治・経済

「国防軍」の本当の意味はアメリカへのお追従


昨日のエントリの続きのようなものですが、安倍総裁が憲法に「国防軍」なんて書くことにこだわってますけど、彼がまだ政治家としての意識があるなら、彼が国防に関して憲法に本当に書きたいのはその部分じゃない

昨日引用した記事の「以下略」とした部分にはこんなことが書かれていました。

--
 ≪自民党改憲草案の安全保障部分要旨≫

 9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇および武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない

 2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない

 9条の2 わが国の平和と独立並びに国および国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する

 3 国防軍は、1項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動および公の秩序を維持し、又は国民の生命もしくは自由を守るための活動を行うことができる

 9条の3 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海および領空を保全し、その資源を確保しなければならない

 (SANKEI EXPRESS)


(以下略)

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/609585/
--

一番大事なのは、9条の2の3によって自衛戦争以外の戦争にも「国防軍」なるものを派遣させることができるようにすることでしょう。

これは以前の自民党の改憲案にもあった条項ですけど、名前の方は「自衛軍」でしたね。つまり、名前などはどうでも良い、自民党にとって肝心なのはこの条項ってことです。

憲法にこの条項を加えることで、イラク戦争のような自衛戦争以外のアメリカの戦争に日本人が参加させられるようになる。日本人をそういう危険な場に送り込ませることができれば、その分、アメリカ人の死傷者を減らすことができる。
そのアメリカの意向に沿って、日本人の血をアメリカに捧げることで、自分が褒めてもらえるという、これまた、身勝手な動機によるものってことになるのですけどね。

==

ただし、自民党案のように改憲をしたがるもう一つの解釈として、以下のようなことを考えているからということも言えるでしょう。

それは、日本の防衛にはアメリカの軍事力が絶対に必要である。だからアメリカが求めるなら、日本人の血を流すことになっても仕方が無い。それは日本の自衛戦争が起きた時に、間違いなくアメリカにも参戦してもらうために必要な犠牲だ。だからアメリカの戦争に日本も参加できるように改憲するんだ、というもの。

私は、こういう発想は政治家としては「アリ」だと思いますし、私の考え方とは違いますけど、こういうことを正直に言うなら、その意見は尊重すべきだとも考えています。

でも、安倍総裁をはじめとする自民党から、こんな話は聞こえて来ませんね。
本当は、このように考えていたとしても、それを隠して、改憲だけを先行させようなんて姑息なことを考えているなら、やっぱり安倍は首相として、政治家として「不適格」ってことです。

テーマ : 自衛隊/JSDF - ジャンル : 政治・経済

「国防軍」なんて安倍の「趣味」の問題


自民党の安倍総裁は、憲法を改正して「国防軍」を明記するんだとか言っているそうで。

これが、他国への侵略戦争に加担する途を開く為のものではないなら、今現在、自衛隊が存在している、しかもそれは合憲だと言い続けて来た自民党の総裁がこんなことをするなどと言うのは、単に「ボクちゃんは、その名前の方がカッコいいと思うから」と言っているに過ぎない、何とも幼稚な頭の持ち主だと暴露しているようなものです。


--
野田首相と安倍総裁 「国防軍」で対立
2012/11/26 06:44

 野田佳彦首相(民主党代表)と安倍晋三自民党総裁は11月25日、テレビ朝日番組にそれぞれ出演し、自民党が衆院選の政権公約に掲げた憲法改正による「国防軍」保持をめぐり真っ向から意見を対立させた。首相は「意義が全く分からない」と批判。安倍氏は「『軍隊』ではないと詭弁(きべん)を弄(ろう)するのはやめるべきだ」と改正の必要性を訴え、両者の立場の違いが鮮明になった。

 首相は「自衛隊を国防軍と名前を変えて中身が変わるのか」と述べ、名称変更にとどまらず軍拡につながるとの印象を強調した。さらに「自民党は政権公約というがかなり国民的な議論が必要だ。(憲法改正に必要な議員の)数がそろえばやっていいという議論では決してない」と牽制(けんせい)した。

 安倍氏は「極端な例を出して不安をあおっている」と首相の発言に反論し、国際人道法であるジュネーブ条約の規定を例示。条約上自衛隊が軍隊に該当すると政府が解釈しているにもかかわらず、憲法の明記がなく軍隊ではないと扱うことを「詭弁」と断じた。

 そのうえで「(自衛隊を)軍として認め、そのための組織もつくる。交戦するときは交戦規定(ROE)にのっとって行動する。シビリアンコントロール(文民統制)も明示する」と述べ、国防軍創設を踏まえ有事の際の戦闘行動を定める交戦規定整備の必要性にも言及した。

 自民党の公約では「国防軍を保持する」と明記した。また、谷垣禎一前総裁時代の憲法改正草案では、戦力の不保持や交戦権の否認を定めた9条2項の表現を削除し、集団的自衛権の行使を可能とする表現に変えた。衆院選公約では交戦規定については触れていないが、草案を踏まえたものといえる。

 (SANKEI EXPRESS)

       ◇

 ≪軍の位置づけ 改憲案では潮流≫

 自民党の新憲法草案に明記された「国防軍」をめぐる議論では、自民党以外の各政党やシンクタンクなどからこれまでに出された改憲案や提言を見ると、現行憲法の9条を見直して自衛隊を「軍隊」と位置づける流れがすでに潮流となっている。

 民主党の議員らも関わった「創憲会議」では自衛隊は「軍隊」。超党派議連「新憲法制定促進委員会準備会」は「防衛軍」、日本維新の会に合流した「たちあがれ日本」も「自衛軍」の位置づけだった。

 政治家の私案では中曽根康弘元首相が「防衛軍」、愛知和男氏が「国防軍」で山崎拓氏は「陸海空軍」。鳩山由紀夫元首相も「自衛軍」。民間団体も「軍隊」(民間憲法臨調)「国軍」(日本会議)。

 自衛隊を軍隊と位置づけようとする各改憲案の根本には、わが国の安全を周辺国の公正と信義に委ねて守るとした現行憲法が国防の手足を縛っているという認識がある。改憲はむしろ平和な暮らしを自らの力で保持する上で急務であるという考え方も共通してある。

 こうした改憲の流れに明確な姿勢を打ち出せずにいるのが民主党だ。民主党は2005年、国民的議論の「素材」として「憲法提言」を策定し、「戦争が『自衛権』の名の下で遂行されたという反省の上に立って、日本国憲法に『制約された自衛権』を明確にする」とわが国の自衛権をさらに縛るような方針を示している。

 その後、民主党内では本格的な議論を行っておらず、条文に関する統一見解すらない。

 百地章日本大学教授はこう話す。「自衛隊を軍隊にしなければ、国際法上も問題が残るし、国内的にも危機に対処できない。尖閣のような離島への漁民を装った海上民兵が上陸するケースや原発を武装ゲリラが襲う事態だ。中国の軍事大国化、北朝鮮の核やミサイルの開発は、わが国にとって安全保障上の最大の懸念だ。主権と独立を守る上で、軍隊にするのは当然の流れで、自民党の『国防軍』明記を批判する野田佳彦首相はそのことの意味がわからないというのだろうか」

 (憲法取材班/SANKEI EXPRESS)

(以下略)

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/609585/
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安倍総裁は、言い訳がましくこんなことを言っているようですが、

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「(自衛隊を)軍として認め、そのための組織もつくる。交戦するときは交戦規定(ROE)にのっとって行動する。シビリアンコントロール(文民統制)も明示する」と述べ、国防軍創設を踏まえ有事の際の戦闘行動を定める交戦規定整備の必要性にも言及した。
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交戦規定なんてもの、現憲法の下でだっていくらでも整備できる話で、「交戦規定整備の必要性」を認めてこなかった、あるいは整備を怠けていたのは自身を含めた歴代自民党政権。何を今更言っているのかってことです。

また、産経は「これまでに出された改憲案や提言を見ると、現行憲法の9条を見直して自衛隊を「軍隊」と位置づける流れがすでに潮流となっている」なんて書いてますけど、そんなものは「潮流」でも何でもない。
単に現憲法の9条が気に入らない者が改憲、改憲と喚いているから、そういうものが並んでいるだけ。即ち、この記事は原因と結果をすりかえているのです。
こういう胡散臭いことをする者が多いから、私は、改憲を訴える者が信用できないのですよね。

そして、

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 自衛隊を軍隊と位置づけようとする各改憲案の根本には、わが国の安全を周辺国の公正と信義に委ねて守るとした現行憲法が国防の手足を縛っているという認識がある。改憲はむしろ平和な暮らしを自らの力で保持する上で急務であるという考え方も共通してある。
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これもデタラメ。
現憲法が手足を縛っているのは、侵略戦争の実行及び加担
「平和な暮らしを自らの力で保持する」のに、何でわざわざ憲法に「国防軍」なんて書かなきゃならないんです?
「国防軍」と書いたら、それで戦闘能力がアップするんですか? あるいは水戸黄門の印籠のように、その言葉を見た「周辺国」が恐れ入りましたと侵略しなくなるとでも言うのですか?

そんなバカなことを考えているなら、改憲論者はまさに「空想的平和主義者」ってことでしょう。

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 百地章日本大学教授はこう話す。「自衛隊を軍隊にしなければ、国際法上も問題が残るし、国内的にも危機に対処できない。尖閣のような離島への漁民を装った海上民兵が上陸するケースや原発を武装ゲリラが襲う事態だ。中国の軍事大国化、北朝鮮の核やミサイルの開発は、わが国にとって安全保障上の最大の懸念だ。主権と独立を守る上で、軍隊にするのは当然の流れで、自民党の『国防軍』明記を批判する野田佳彦首相はそのことの意味がわからないというのだろうか」
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本気で言っているなら、この百地という人もその典型。
憲法に書いたからって、それでその「安全保障上の最大の懸念」がどう解消されるんだって言うんです?
全く「意味がわからない」ことを言っているということがわからないようですね、この人達。

本当に侵略戦争に加担する気が無いなら、「国防軍」なんてただの「趣味」の問題であり、そんな個人的なワガママを通したいなどという安倍は、やはり首相としては不適格だってことです。

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他人の不幸を極力利用しようとする原発推進派


先週、北海道を暴風雪が襲い、一部で長時間の停電被害が発生しました。
被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げるしかありませんが、今回の停電は主要な送電線の鉄塔が倒れた事によるものであり、これを回避するためには、送電ルートを二重化するなどの方策を、今後考える必要があるかと思われます。

ところが、この停電被害を受けた人々を、自分達のイデオロギーに利用しようとしている輩もいます。それが原発推進派。

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暗闇の登別「泊原発なければ冬乗り切れぬ」 北海道大規模停電ルポ
2012.11.29 21:48 [自然災害]

 暴風雪の影響で北海道登別市などの大規模停電被害は29日も続いた。北海道を代表する観光地、登別の温泉街はひっそりと静まりかえり、夜のとばりが降りると信号も消えた街を暗闇が覆った。衆院選を戦う各党に「脱原発」の動きが目立つ中、ひとたび大規模停電に陥れば市民生活が脅かされる現実を見せつけている。(大竹直樹)

 「街は死んだような状態だ。町中真っ暗で電話もタクシー無線も通じない。商売あがったりだ」。JR登別駅前で客待ちをしていたタクシー運転手の加藤昭夫さん(65)が嘆く。

 夜、小雪が舞う登別温泉街に着くと、観光客の姿はなく、凍(い)てつく強風が土産物店のシャッターを揺らしていた。

 営業休止となった老舗旅館「第一滝本(たきもと)館」の上田俊英総支配人(55)は「電気がなければ暖房も使えず、館内放送さえできない。宿泊客の連絡先もパソコンの中で、連絡を取るのも一苦労だ。山奥でラジオも入らず、情報も不足している」と話す。登別観光協会によると、営業休止による被害総額は4億円を超えるという。

 避難所となっている同市の施設では、急遽(きゅうきょ)設置された非常用発電機が轟音(ごうおん)を立てていた。28日夜には氷点下5・7度の厳しい冷え込みの中、242人が不安な一夜を過ごした。寝付かれずロビーにいた漁師の丹後武美さん(62)は「自宅にいたが、寒くて耐えられなかった。電気のある生活に慣れていたが、今回ほど電気の必要性を実感したことはない」。

 27日に11月の観測史上最大となる瞬間風速39・7メートルの暴風雪に見舞われた都市部の室蘭市では、停電で思わぬ被害もあった。「坂の多い室蘭では、道路の融雪設備が停電で使えなくなり、道が凍り付いた」と室蘭観光協会の仲嶋憲一事務局長(38)は話す。

 北海道では泊原発が定期検査に入り、道内の稼働原発はゼロだ。「布団にくるまって寒さをしのぐしかなかった。北海道の冬は泊原発がなければ乗り切れないのでは」。室蘭市のオール電化住宅に住む和田山忠生さん(72)は電気のありがたみを実感していた。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121129/dst12112921550009-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121129/dst12112921550009-n2.htm
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いくら泊原発を再稼働させたところで、今回の停電は避けられなかったというのは厳然たる事実。
そういう停電被害を受けた人々の声を集めて、原発停止による電力需給の逼迫による停電に話をすりかえ、同じような目に遭いたくなかったら原発を稼働させろと読者を脅迫しているのが産経新聞。

醜悪としか言い様がありませんね。

ちなみに、電力需給の逼迫による停電が仮に起きたとしても、それは通常なら日中の数時間のことであって、夜間になれば解消され、今回のように3日間も続く事はありません。
ですから、記事の中でその厳しさを表現しようと取り上げられている以下のような状況では、

「暗闇の登別」
「夜のとばりが降りると信号も消えた街を暗闇が覆った。」
「町中真っ暗」
「28日夜には氷点下5・7度の厳しい冷え込みの中」


実は電気が使える可能性大なんですけどね(苦笑)。

そのあたり、産経はわかっていないのか、それともわかっていて頬被りしているのか。
どっちにしても、原発推進派のやっていることはロクなもんじゃないってことです。

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代表が公約に反対する政党(呆)


3日前には他党の脱原発を実現性が無いと批判し、前日には、自分達の公約は脱原発だと言っておいて、今度は代表がその公約を「直させる」んですって。

呆れてしまいます。

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原発フェードアウト公約「見直す」 維新・石原代表

 日本維新の会の石原慎太郎代表は30日午後の党首討論会(日本記者クラブ主催)で、29日に発表した政権公約に「(原発は)2030年代までにフェードアウト(消えていく)」と盛り込んでいることについて「そういう公約はやっぱり直させます」と語り、見直す考えを示した。

 石原氏は29日、維新代表代行の橋下徹大阪市長とともに記者会見して政権公約「骨太2013〜2016」を発表。「脱原発依存体制の構築」「原発政策のメカニズム・ルールを変える」と明記した。政策の実例として「既設の原子炉による原子力発電は30年代までにフェードアウトすることになる」とした。

 石原氏は討論会で、原子力利用の選択肢を失うことは「困る」とした上で、「私はそういう公約はやっぱり直させます。(エネルギー政策などの)シミュレーションをして、そのシミュレーションの中で、原発の淘汰(とうた)を考えていくことだ」と語った。

http://www.asahi.com/politics/update/1130/TKY201211300410.html
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で、前日自分もマスコミの前に座って発表した公約を、その党の代表は認識していなかったってことですか?

この人達のデタラメっぷりはかねてから指摘して来たことですから、少々のことでは驚かされないつもりでしたけど、こんなことをする「政党」っていまだかつてあったでしょうか?

言うことを一日でひっくり返すような者が政権を握ったら、国が混乱することは必至でしょう。

加えて、最高責任者がその集団の方針を知らない(?)で公表し、更に、その翌日には何の総括もせずにシレッと「直させます」の一言で済ます。こんな無責任な人間が政権を担ったら、これまた、混乱することは目に見えています。

こんな政党がなんである程度の支持を受けているのか、さっぱり理解できません。


テーマ : 衆議院解散・総選挙 - ジャンル : 政治・経済

「他人の手柄を横取りします」が公約ですか>維新の会


日本維新の会こと「日本王政復古の会」が選挙公約を発表しました。
その中で、前日まで、未来の党の卒原発に対して、

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「嘉田さんの新しいグループは、いきなり脱原発というが、いつまでにやるのか、使用済み核燃料はどうするのか、誰もプランを持っていない」と話し、脱原発の実現性に疑問を呈した。
http://mainichi.jp/select/news/20121128k0000m010034000c.html
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なんて言っていた人が、自分たちも「脱原発」だなんて言いだした。
ここまで来たら、無節操を通り越して支離滅裂と言わなければならないでしょうね。

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「脱原発」の内容不明確 使用済み燃料に総量規制
2012.11.29 10:50

 エネルギー・原発政策は「脱原発依存体制の構築」と明記した。「既設の原子炉による原子力発電は2030年代までにフェードアウトする」と示したが、原発稼働ゼロを目指しているのか、原発の新設を一定程度は容認するのか、判然としない。「原発政策のメカニズム、ルールを変える」と記し、原発から出る使用済み核燃料の総量規制を掲げた。

 東京電力の破綻処理を盛り込んでいるが、東電に代わって除染や廃炉といった費用を誰が負担するのかは明確でない。

 電力市場の自由化や発送電分離も目指す。野田政権が進めてきた政策だが、電力会社の競争を促し、電気料金の引き下げにつながる制度を実現できるかどうかが課題になる。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121129/elc12112910510041-n1.htm
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産経がバカ殿たちが脱原発と言い出したことをこのように批判的に報じているのもまた滑稽ではありますが、言うに事欠いて「フェードアウト」ですって。

これってつまり、自分では何もしないけど、原子力による発電は自然消滅するって言ってるんですよね。

他の政党が何らかの政策を実行することで何年後かの「脱原発」を目指していることに対しては「実現性に疑問」なんて難癖をつけて、既存の原発はいつかは使用停止になるのだから、それは必ず「実現」すると。

「使用済み核燃料はどうするのか、誰もプランを持っていない」から他人の脱原発政策には実現性は無いが、「フェードアウト」は使用済み核燃料が処理できないまま放置されようが、どうなろうが、いつか必ず起きるのだから、自分達にそんな「プラン」が無くても許される、そう言いたいんですね。

「プラン」も無く、誰かが原発を停めるのをただ待つ、これのどこが「脱原発」なんです?

結局、自分の手を汚さず、他人の手柄を横取りする、それがバカ殿たちの「公約」だってこと。

私に言わせれば、この政党は「性根が腐っている」と評すべきだと思いますけどね。

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