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メディアにおもねる女子高校生(3) ー 創作右翼の「正論」

前エントリからの続きです。

山本みずきという女子高校生(当時)が書き、雑誌「正論」に載った文章が、事実に基づいた論考などではなく、メディアの喜ぶように書いた、売名のためのものであったと疑われる根拠を、引き続き示します。

--
建国者とはその国にとって偉大な功績を残し、全ての国民から敬愛されるべき人物である。
もちろんこれはアメリカだけの話ではなく、世界を通じてそうである。

たとえばお隣の国の中国では、その象徴たる天安門広場に大きな毛沢東の肖像画が飾られていて、
また日の出と同時に中国旗が掲揚される。早朝から毛沢東を拝むために大勢の人民が広場に集まる
光景があり、私もそれを実際に見たことがある。

本来、国民にとって建国者とはそれほど尊い存在である。
--

これまた、平和ボケもいいところでしょうね。

世界的に見ても、建国の過程では多くの血が流されたという事実こそ常識。
だから、建国者を忌み嫌う人々も沢山居て当然。
逆に、それがわかっている国、即ち、無理な統治をして来た国ほど、建国者を神格化するもの。
北朝鮮しかり、サダム・フセインのイラクしかり、カダフィのリビアしかり。

この筆者によれば、毛沢東は建国者として、全国民に尊敬されているということのようですが、台湾が〜、とかチベットが〜とか、中華人民共和国によって圧迫された人々の代弁者面をして来た一番の日本のメディアは、産経グループじゃありませんか。

この筆者にかかれば、チベットの独立性を主張するダライ・ラマなどとんでもない人物ってことになりますね。それをはっきり「正論」に載せる文章に書いて欲しいもの。
まあ、そんなことを書けば載らなかったでしょうけど。

--
しかし、ダグラス・マッカーサーが建国者という回答は理解に苦しむ。
彼は先の大戦の終結後に日本を占領したGHQの最高司令官ではないか。

今般のアンケートにより、
戦後日本の歴史教育はマッカーサーの影響を強く受けていることが判明した。
彼が我が国の建国者として認識している若者が5人もいたことには頷ける部分もある半面、
愕然とした。

私は、5人の学生がこのような発想に至った原因を究明するために、
彼らに日本史を教えていた先生から直接話を伺うことにした。

その先生に同様の質問をすると、返ってきた答えは
「日本国憲法の制定が我が国の建国だ」
というものであった。

つまり、先生曰く、主権が天皇から国民に移ったことにより、それまでの歴史は断絶し、
新たな日本の歴史が始まった、というわけだ。
原因はここにあった。

ちなみに、戦後に関して教科書には
「GHQは、当初、日本占領の目的は、民主化と非軍事化にあるとして、日本国憲法の制定を
はじめとする一連の民主化政策を押し進めた」と記載している。

おそらく5人の学生たちは当初から日本国憲法制定をもって我が国の建国とみなす認識を
もっていて、先述の教科書に記載されている」内容からGHQの最高司令官である
マッカーサーが建国者であるという解釈に至ったのだろう。
--

征服者によって「建国」がなされるなんて古今東西どこでもあること。
現在のイラクやアフガニスタンの「建国者」はブッシュという人物が居ても何の不思議もない。

こんなことに愕然とすると平気で書けるところが、この筆者の平和ボケぶりをさらに現しています。
というか、日本語として書いていることがバラバラですけどね。

「原因はここにあった」と認識しているはずなのに「理解に苦しむ」
「頷ける部分もある半面、愕然とした。」

こんな相矛盾したことが書けるのは、この人は事実を事実として受け入れることができず、自分の思い込みに物事を当てはめ、そこからはずれると端からネガティブな感情をむき出しに攻撃を加えてしまうという、論者として非常にレベルが低い人物だからでしょう。

--
ここでは「あなたにとって天皇とはどのような存在か」という内容を尋ねた。

我が国は初代神武天皇の即位から途絶えることなく、2670年以上も続く長い歴史を誇る。
このような日本の歴史の中枢を担ってきた天皇の存在を現代の若者たちはどのように認識
しているのだろうか。

最多となった回答が「象徴」であったのは言うまでもない。
戦後の教育を受けてきた人なら理窟や道理は推論できるはずだ。
それはさておき、ここでは次のような結果がみられた。

「日本を代表として他国と親しくする人」
「日本の歴史を象徴する人物」
「尊く・美しく・日本人として誇らしい存在」
「平成を支えている偉大な人物」

など、天皇陛下への尊敬の念が伝わる回答が多く、
学生たちは陛下に好印象を抱いていることがうかがえた。

これはもちろん、今上天皇を始めとする歴代天皇と皇族方が日々、
国家・国民のため誠心誠意お努めになった結果であろう。
--

今上天皇は、日の丸・君が代の強制は良くないとはっきり言った人ですけど、そういう事実にはすっかり頬被りして、自分に都合の良いように天皇を利用している。

一方で、天皇に否定的な意見の持ち主を貶めることには余念が無い。

--
一方で、残念ながら天皇に否定的な印象を持つ若者がいたことも事実だ。
その類の回答をみたとき、私はとても驚いた。

--

ここでもまた、「事実だ」と書きながら「驚いた」などと書く。
とにかく媒体に良い印象を持ってもらおうと必死になっている姿が透けて見えます。

--
ちなみに、中立的な「象徴」と答えた学生は50人で、
肯定的回答者と否定的回答者の比率は、なんと25人ずつの同等であった。

--

「象徴」と書くことを中立などと分類するなら「肯定的回答」って何なんでしょうね。
「否定的」の方はダラダラ書いて貶めているのに、「肯定的」の方が全く書かれていないのが不思議。
本来、「象徴」であることは確定事項なんですから、この人のようなあたかも天皇が現人神であるかのような「回答」をするのも「否定的回答」としなければならないはずなんですけど。

--
そもそも天皇とはなにか。
端的に言えば「祭り主」である。
天皇は古来、一貫して「祭り主」であった。

8世紀初頭に完成した養老律令のなかには、すでにこの趣旨が明示されている。
具体的な祭り主の仕事とは、国の平和と民の安心を祈願することで、
天皇は祭祀において「国平らかなれ、民安かれ」と祈願する。

日本が長期にわたって国家を保ちつづけてきたのには、我が国の君主たる天皇が、
いつの時代も国民を愛し、国の平和と民の安心を祈る存在である一方で、国民もまた
天皇の統治する国を支えることを当然と考えていたからではないか。

それはGHQの占領下に置かれた戦後も変わらない。

戦後に成立した日本国憲法第一条に、
「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であつて、この地位は、
主権の存する日本国民の総意に基く」と記し、「日本国民の総意に基」き天皇の地位が
あることを規定している。

これは有史以来の事実であり、我々日本人は主体的かつ自由な意思の下に天皇を戴いている。
昭和天皇が仰せられたように、天皇と国民の紐帯は君臣の信頼と敬愛により結ばれていて、
それは世界でも類の無い君臣の関係である。

我が国はまさに万邦無比の国柄なのだ。
--

だから何ってところ?
過去に天皇と国民がどういう関係であったかなんてどうでも良いことなのであり、現代の国民の多くが、もし天皇に否定的な考えを持つようになったら、その時点で、「国民もまた天皇の統治する国を支えることを当然と考えて」いなくなっただけのこと。

そんな「事実」はいくらでも変わり得るのであり、現代の若者が仮に先人のようには考えなくなったとしたって、それもまた「事実」であることには変わりなし。
その「事実」から目を背けて「万邦無比の国柄」「宣戦布告」などとイキがったって、ただの妄想狂に過ぎません。

--
先のアンケートにおいて、日本は「紀元前660年に神武天皇が建国した」と答えることが
できた、二人の学生のうち一人に国家観について話を聞いてみた。

--

で、何でそっちの話を聞くの?
この人の問題意識を解消するためには、反対の意見の人の話を聞かなければ意味ないじゃありませんか。

まあ理由は察しがつきますけど。
こんな浅い妄想に依拠した「国家観」なんてものをひけらかしたって、論破されるのがオチとわかっていた、もしくは実際にそうなっていたからでしょう。

だから、自分の言いたい事を肯定してくれる人を選んでインタビューしたんでしょうね。

--
ところで、国家観の欠如とは、世界でも日本だけにみられる特異な現象である。
私は今まで30回近く海外へ渡り、モンゴルやモルディブ、マレーシアを始め、
様々な国で実際に学校教育を受けてきた。

中でも忘れらない光景の一つに、小学3年生のときに留学したアメリカで、星条旗を前に
忠誠を誓う幼い子供たちの姿があった。なんと、アメリカでは幼少期から国家観を養う
ための教育が行なわれていたのだ。
--

この筆者の妄想世界の「国家観」など、世界のどこを探したって、持っているのはこの筆者だけでしょう。
そして、「国家観」なんて教育をやっている方がむしろ不自然。
アメリカのそれも、別に国家観を養うためにやっているんじゃない。
アメリカの国旗にどんな意味があるかを、知識として知らしめるためにやっているのです。
だから「留学生」ですら、その場に立ち会うことになる。

「国家観」を養う為の教育をするなら、「国民」だけがいる場でやるもの。この筆者の言っていることは最初から矛盾しています。

--
日本人の中には、それを実感していない人もいるかも知れないが、
日本は国際的に高く評価されている。

そこには、無意識にも他人を思いやった行動をとることができる
日本人の精神性が大きく関係しているのだろう。
一方で、我々日本人はその素晴らしさを見失っている現状がある。

だが、歪んだ国家観を有する国民に本当の意味で国家を守ることができるだろうか。
--

日本が国際的に高く評価されている部分はあるだろうし、「無意識にも他人を思いやった行動をとることができる日本人の精神性が大きく関係しているのだろう」という認識にも同意できる部分がありますが、だとしたら、その精神性に「国家観」なんてものはほとんど関係ないと思いますけどね。

そして、「だが」とつないでいきなり「国家を守る」だなんて、何の関係があるというのでしょう。どうみたって支離滅裂
論旨も何もなく、ただ自分が言いたいことをただ並べただけってことが丸わかりです。

--
昨年、私はスイスのジュネーブにある国連欧州本部を表敬訪問し、軍縮会議を傍聴させて
いただいた。そこで、核保有国であるパキスタン政府と戦争による唯一の被爆国である
日本政府が、核兵器禁止条約をめぐる議論を戦わせる姿を見て、国家観の必要性を
痛切に感じた。

というのも、外交には相手がいて、勝負は常に主張と妥協の連続にならざるを得ない。
よって、健全な国家観と国際的な視野を兼ね備え、自国の国益を高く堅持しつつも、
相手国との共通の利益を模索し続ける姿勢こそが重要となる。

そこでもし、正しい国家観をもたない人間が外交の立場に立ったらどうなるであろうか。
極論であるが、相手国の利益ばかりを受け入れることに繋がりかねない。
そのような外交が展開されるならば、日本国家は確実に衰退する。
--

マレーシア、アメリカ、そしてジュネーブと、とにかく自分が海外に行ったことを自慢したいのでしょうけど、さてさて、この人は、日本とパキスタンがどういう姿勢で核兵器禁止条約に臨んでいるかわかっているのでしょうか?
あたかも、「核保有国であるパキスタン政府」が核兵器禁止条約に反対し、「戦争による唯一の被爆国である日本政府が」核兵器禁止条約に賛成しているかのような印象操作をしたいのでしょうけど、実際には、パキスタンが賛成して、日本は棄権しているんですよね、この条約に対しては。

さて、「核保有国」「被爆国」というキーワードと「国家観」を持ち出して、具体的に何がどうだとこの人は言いたかったんでしょうね。
パキスタンはちゃんとした国家観を持っているから「核保有国」だけど、禁止条約には賛成している。日本は国家観が定まっていないから「被爆国」なのに、禁止条約に賛成できない。
そういいたいのでしょうか?
それならそれで一貫性がありますけど、国家観なんてものを持ち出す人って、この人もそうですけど、実力で「国を守る」ことを重視する傾向にあるようで、そういう人は、必然的に「核の傘」「核抑止力」に対して肯定的でしょ。

だとしたら、「国家観」を持っているはずのパキスタンの行動の方が怪しくなって、日本の方が真っ当という結論になるはずなんですけど、具体的にどういう議論が行われて、それが自分の主張のどういった根拠になっているのか、そういうところは一切言及しないで、ただ、それを見たということを自説の箔付けに利用しているだけなのが、この人。

そして、この筆者は持論を以下のように結んでいる。


つまり、国家観や愛国心をもたない国民が増えることは日本の危機なのだ。

すでに日本は、国家観の欠如が、外交や安全保障のみならず、
多くの問題を招いているように思う。

それらの問題を一刻も早く解決するためにも、
我が国は当たり前の国家を愛することのできる国にならなければならない。

先ほどの日本の学生のように、国家を思う若者が増えれば、
我が国は一層輝き渡ると私は信じている。

多岐にわたる問題が溢れかえった今こそ、先人たちが築き上げてきた日本の誇りを
呼び覚ますべき時ではないだろうか。

--

まあ、空虚なことこの上なし。

国家を愛せるかどうかは、その国が愛するに足る存在であるかどうかで決まるんです。
国家が、国民各々の人生において重要な働きをなし、国民に対して誠実であれば、自ずと愛国心なんて醸成されて来るもの。
というか、この人は天皇が多くの人に肯定的に捉えられていることに対して、「我が国の君主たる天皇が、いつの時代も国民を愛し、国の平和と民の安心を祈る存在」であったからと言っているのですから、国家に対しても同じ視点を持たなければおかしい。
「我が国は当たり前の国家を愛することのできる国にならなければならない」なら、国家が国民を大切にすることが前提なのであり、国民に日の丸君が代のようなものを強制しようとする国家など、愛される資格が無い、それで終わりのはずなんですけどね。

ということで、この山本みずきという人の「正論」の怪しさについて、考察してみました。

次回、何故このような文章をこの人は書いたのか、について論じて、このネタは締めたいと思います。
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テーマ : 日本を正常な国に戻したい - ジャンル : 政治・経済

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コメント

マッカーサー神話について

なぜ日本ではマッカーサーの神話が今日まで信じられているのか理解できません。
マッカーサーは、日本における米政府の代理人でしかなかったのです。その証拠に、トルーマン大統領にあっさりクビにされています。
日本国憲法はポツダム宣言の中の日本の民主化、言論・宗教・思想の自由、基本的人権の確立という方針を土台とし書かれたもので、特にマッカーサーの指令というわけではないのです。要するにポツダム宣言の実施としてとらえるべきでしょう。

当時米以外の連合国は天皇制廃止を主張したようですが、米の強固な反対にあったようです。ですから、天皇制存続は米に恩義があるわけですが、もちろんそういう都合の悪いことはちゃっかりと忘れてしまっているようですね。しかし歴史は忘れていません。
日本が世界に誇れる建国の論理というのは日本国憲法の民主主義精神しかありません。日本以外の他のアジア諸国は皆民主主義とは程遠い存在だったのはそんなに昔ではないのです。この精神が戦後の高度成長となって体現したとみるべきですね。当時は誰も天皇の為なんて思っていなかったはずです。

マッカーサー神話は「ゴーン革命」みたいなものなのでは?

chukaさん

> なぜ日本ではマッカーサーの神話が今日まで信じられているのか理解できません。
> マッカーサーは、日本における米政府の代理人でしかなかったのです。その証拠に、トルーマン大統領にあっさりクビにされています。

それはその通りですけど、その代理人であったマッカーサーを戦後民主主義の導入の象徴的存在として認知するのもまたアリなのではないでしょうか。

> 日本国憲法はポツダム宣言の中の日本の民主化、言論・宗教・思想の自由、基本的人権の確立という方針を土台とし書かれたもので、特にマッカーサーの指令というわけではないのです。要するにポツダム宣言の実施としてとらえるべきでしょう。

例えば、日産自動車の再建にルノーが送り込んで来たのがカルロス・ゴーンだったわけですけど、彼も突き詰めて行けばルノーの株主の代理人にすぎず、日産の再生はルノー株主の利益のために必要な手段を実施しただけとも言えますけど、やはりそれを「ゴーン革命」と呼ぶ人がいるのと同じではないでしょうか。

> 日本が世界に誇れる建国の論理というのは日本国憲法の民主主義精神しかありません。日本以外の他のアジア諸国は皆民主主義とは程遠い存在だったのはそんなに昔ではないのです。この精神が戦後の高度成長となって体現したとみるべきですね。当時は誰も天皇の為なんて思っていなかったはずです。

これもその通りでしょうね。
戦後の日本の発展は、努力すれば報われると誰もが思えるような世の中になったからであり、そこには天皇なんて全く存在していなかった。
そうして発展し、皆がそこそこ豊かになったところで、天皇のおかげとか、アナクロな「国家観」なんてものを言い出してくるのは、代弁者面した一部の人間が、そういった権威をかさに、国の利益を独占しようとしているようにしか、私には見えません。


悪者は誰?

不思議なことに、ネトウヨの中心勢力は、皆米留学組が多いということです。おそらくこの人達の米体験は経済大国日本との一体感抜きには考えられないのではないでしょうか。桜井女史の留学先のハワイは日本のハワイ県とさえいわれていたくらいでした。

その頼みの日本経済が失速、中韓や他のアジア系と競争しなくならなければなった時にネトウヨの中心勢力はその責めを敗戦に、中韓の経済力にと移していったようです。
要するに経済力を取り返せれば問題は解決するのでようが、その手段としてモデルを1930年代の軍国日本に求めるのは、全く妄想としかいいようがないです。

なるほど


chukaさん

>不思議なことに、ネトウヨの中心勢力は、皆米留学組が多いということです。おそらくこの人達の米体験は経済大国日本との一体感抜きには考えられないのではないでしょうか。

留学組が多いということは、必然的に裕福な家庭に育ったものが多いということになるのでしょうね。
おそらく、日本の高度成長期をリアルタイムで体験し、多くは親の苦労もたいして知らないまま、留学までさせてもらい、そのお金のおかげでアメリカでも厳しい体験をすることなく、箔を付けることができたのではないでしょうか。

ところが、自分たちが社会の中枢を担ったこの20年間、日本は成長することなどできず、中国・韓国にどんどん追い上げられ、ある部分では追い抜かれてしまった。
そういう、誰かの風下に立たされるという経験をほとんど積んでこなかった人々が、そのウサ晴らしに外国人や社会的弱者を攻撃している。

そう考えるとネトウヨの中心勢力がアメリカ留学組というのも、わかる気がします。


>要するに経済力を取り返せれば問題は解決するのでようが、その手段としてモデルを1930年代の軍国日本に求めるのは、全く妄想としかいいようがないです。

おっしゃる通りでしょうね。
戦争を経験し、戦後の復興のために一生懸命働いた人々は、とても海外に行く余裕などなかった。
ただ、日々の暮らしを少しでも良くしようと必死に働いていた人々がたくさんいたから、日本は高度経済成長を遂げることができた。
ネトウヨは、自分の親世代の努力で日本が裕福になれたことを認識できず、そのため、こういう時に何をしたら良いかわからずに、ただ自分のプライドを守るための行動しかできないのではないでしょうか。


全く同感!

困ったことは、”自己の虚栄”が”日本のプライド”に摩り替えられていることです。理性と常識ある日本人はこの日本的甘えの構造から距離をおくべきです。

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