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日の丸・君が代に関するgoldbugさんへのお返事(Afternoon Cafeさんより)


秋原葉月さんのAfternoon Cafeで、「これが日の丸君が代の本質」というエントリがアップされました。

http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-482.html

そこでgoldbugさんという方と何回かやり取りをやらせていただいたのですが、秋原さんもこれ以上は望まれないようでしたが、その私宛の最後のコメントもまた、なかなか興味深い内容であったので、こちらで紹介の上、そのお返事を書かせていただきたいと思います。

ちなみに、goldbugさんにはいつものように「自分の主催する結婚式やお葬式の式次第に日の丸・君が代は入れるのか」と聞いたところ、「私的な行事だから入れない」とお答えになっています。

------------------------------
白砂青松0715さん

公と私の違いは詰まるところお金でしょうか。
結婚式や葬式でお金を出すのはその当事者です。どんな式にするかはその人達の自由であり、もしやりたいなら日の丸を掲げて君が代を歌っても構わないでしょう。
入学式や卒業式もある意味同じです。どんな式にするのかは当事者が決めることです。
そしてこの場合当事者は税金を払っている国民みんなです。

結婚式や葬式で誰かが日の丸を掲げたいと言い、別の誰かがそんなのは嫌だと言ったらどうしましょう。
話し合って決める。それでも決着が付かなかったら親戚一同で多数決にでもしましょうか。
入学式や卒業式ならどうでしょうか。意見が衝突したら、結局多数決にするしかないでしょう。

ここで重要なことは誰の人権も侵されていないことです。裁判所がそう言いました。
多数をもってしても奪い得ない権利がある。
それを逆に言うなら、人権が侵害されていないなら、多数に従うのが民主主義って事です。
誰の人権も侵害されていないのに、少数の意見が多数の意見を押しのけるとしたら、それこそ民主主義の否定です。

------------------------------

これに対しての私の答えは以下の通り。

==============================

>公と私の違いは詰まるところお金でしょうか。

あなたが「私」に区分するものにも、税金はいろんな形で使われていますよ。

>そしてこの場合当事者は税金を払っている国民みんなです。

では、税金が使われている行事では全て日の丸/君が代を持ち込まないと常識はずれってことになりますね、あなたのお考えなら。
でも、世の中、日の丸・君が代なんて無い行事、儀式ばかりですよ、実際には。
先日も「どんな社会、国であっても儀式で国旗国歌に敬意を払うのは常識」なんて言ってましたけど、観念だけで語らずに、良く周りを見てご覧なさい。

>結婚式や葬式で誰かが日の丸を掲げたいと言い、別の誰かがそんなのは嫌だと言ったらどうしましょう。
>話し合って決める。それでも決着が付かなかったら親戚一同で多数決にでもしましょうか。

ですから、「ご自分が主催する」とお聞きしたんですけどね。
その場合、お金を出すのはあなた。即ち、別の誰かに「そんなのは嫌だ」なんて言う権利は無い。それがあなたの「常識」なのではありませんか?
だったら、「当事者」たるあなたの意志で、結婚式にも、お葬式にも、「日の丸・君が代」を式次第に入れる、そうならなければ、あなたの言っていることに整合性が取れません。

というか、ホントにあなたは「話し合って決める」つもりですか?

自分の主催する儀式の内容で、誰かが「そんなのは嫌だ」と言わせてしまったら、普通はそれだけで主催者失格。
「話し合って決める」とか「多数決」以前に、誰かに「そんなのは嫌だ」と言われそうなことは行事の中に入れない。それができないような主催者は、ゲストのことよりもホストたる自分の欲求を優先する、あなた流に言えば「空気が読めていない」者とみなされる。
それが現実の社会ってものですよ。

で、実はあなたもそう思っているから「もちろん入れません」なんでしょ?

自分が責任を負わなければならないものには、とても誰かが嫌がるだろうものは怖くて入れられない。ところが、学校行事なら自分には直接責任がないものだから好き勝手なことが言える。違いますか?

>ここで重要なことは誰の人権も侵されていないことです。裁判所がそう言いました。

裁判所はそんなことは言ってませんよ。
あの職務命令は、個人の人権(思想・良心の自由)を間接的に制約するものだけど、教員という立場では受忍し得るものだったと言っているだけです。制約を受けることは最高裁も認めています。

>多数をもってしても奪い得ない権利がある。

これは「民主主義国には多数をもってしても奪い得ない人権がある」という命題をあなたが言っていると解させていただきます。

>それを逆に言うなら、人権が侵害されていないなら、多数に従うのが民主主義って事です。
>誰の人権も侵害されていないのに、少数の意見が多数の意見を押しのけるとしたら、それこそ民主主義の否定です。

論理のルールを全くご存知ないんでしょうね。
ある命題の真偽と、その「逆」の命題の真偽は一致しないというのは、論理の初歩の初歩なんですけどね。

「民主主義国には多数をもってしても奪い得ない人権がある」に真偽が一致する命題は、その対偶にあたる「多数をもってしても奪い得ない人権がないのは民主主義国ではない」だけです。

しかも「逆」にすらなっていない。

「民主主義国には多数をもってしても奪い得ない人権がある」の逆命題は、「多数をもってしても奪い得ない人権があるなら民主主義国である」です。

仮に「逆」の真偽が一致するとしても、あなたの言う「多数に従うのが民主主義」なんて概念が入って来るのは、そこで話をすりかえているってことです。

で、人権が侵害されていないなら、多数に従うって、それのどこが民主主義なんです?
民主主義とは構成員全員が権力者という体制を是とする思想を言うのであり、多数決なんていうのは、その意思決定の一手法に過ぎません。

そして、あなたの言う「少数の意見」とは自分のことを自分で決めたいという話。一方「多数の意見」とは他人のことを自分が決めたいという話。つまり、「構成員」の範囲がそもそも違うってことです。
自分のことを決めるのか、他人のことを決めるのかでは、意見の重みに差があって当然であり、単純な数で比較すべきものではありません。

例えてみれば、沖縄の基地問題のようなある地域に取って悪影響がある問題を、日本国民全体で見れば多数意見だからといって、地域の声を無視して沖縄に押し付けておけば良いと言っているのがあなた。

もう一つ例え話をすれば、日本と中国が領有権を争っている尖閣諸島がどちらに帰属するか、それを当事者の投票で決めましょう、結果はおそらく圧倒的な差で中国の領土が多数意見となるでしょう、無人島の帰属が移ったって誰の「人権」も侵害しないのですから、日本国民もそれに従いましょう。
こんなことを言っているのもあなたってことになります。

==

そして、もし、この「日の丸・君が代が式典に持ち込まれるのは、自分の思想・良心の自由の侵害だ」という意見が「少数の意見」だと言うなら、比較すべき「多数の意見」とは、構成員の範囲を揃えれば「日の丸・君が代が式典に持ち込まれないのは、自分の思想・良心の自由の侵害だ」の筈です。

さて、この後者のような意見は本当に「多数の意見」なんでしょうか?
私は否だと思います。

もしそうなら、世の中で行われる数多くの式典の度に「日の丸が無かった、君が代が歌えなかった」という抗議の声があがり、それを「思想・良心の自由の侵害だ」という訴訟が起こされている筈ですから。

でも、私はそんな訴訟は聞いたことが無い。

ということは「式典に日の丸・君が代を無理に持ち込まない方が良い」が、実は『多数の意見』に従ったやり方だということです。

==============================

以上です。

>goldbugさん

反論はコメント欄にどうぞお書き下さい。

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テーマ : 日本を正常な国に戻したい - ジャンル : 政治・経済

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コメント

おはようございます。
お忙しい中、いつも素晴らしいコメントをいただき、ありがとうございます。
私も白砂青松さんのブログは愛読させていただいています。

以前、弊ブログで一知半解というネトウヨを白砂青松さんがお相手してくださったときも、大変鋭いコメントに感服しておりました。最近またコメントをいただけるようになって、あれからも弊ブログに目を通していてくださったんだな、と嬉しく思いました。
本来なら私がgoldbugさんに返答をしなくてはいけないのですが、すっかり代わりにお答えいただいてる形になっちゃって・・申し訳ないと共に、大変感謝しております。

国旗国歌や死刑については、もうむこうの反論も出尽くしてて定型化していますので、毎度毎度同じパターンの返答を繰り返すのがうっとうしいのもあって、プチ問答集をつくりました。「それは過去記事に書いてあるからそっちを読んでね」と言えるように(笑)

あの手のコメントに返答していると、一コメントにつき一エントリーに近い労力を使いますので「足止め」されてしまうのがうっとうしくて(^^;
最近はバカ殿以外にも安倍壺三も叩かねばならないので、できるだけエントリー発信の方に力をいれたくて、コメント返しをすっかりサボっております。なので白砂青松さんにもお返事していないのですが、どうぞお許しください。

白砂青松さんには私も本当にうなずきながら「こう返せばいいのね!」と学ばせていただいています。
「goldbugさんという方と何回かやり取りをやらせていただいたのですが、秋原さんもこれ以上は望まれないようでしたが・・」
なんてことは一切ありません。
白砂青松さんに丸投げしてるようで心苦しいのですが、コメントをいただけて本当にありがたいのです。
是非ともご遠慮なさらずお気軽に書き込んでいただけるとこんなに嬉しいことはありません。

goldbugさんのような人を見ていると、大前提として理解しているべきである民主主義とは何か、基本的人権とは何かの基礎の基礎、九九のレベルがわかっていないのを嘆きたくなります。これは日本の教育のせいだと思います。
わたしのところによくトラバをくださるブログ「イルサンジェルマンの散歩道」のjeanvaljeanさんは、フランスの教科書の紹介をしてくださっていますが、日本の民主主義教育とは雲泥の差です。
理系分野では専門知識は尊ばれるのに、法学の分野では、専門知識は全く顧みられないのです。
ですから、法のド素人が憲法の教授に向かって平気で「おまえは分かっていない、バカだ」という身の程知らずの暴言が吐けるのです。
医者に向かって手術の手順について「おまえは分かっていない、バカだ」といえる素人はみたことがありません。

長々と駄文を書き綴りましたが、どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。
それでは、良いお年をお迎えくださいませ。

卒業式に国は顔を出して

白砂さん、まずこうした場を設けて頂いて有難うございます。秋原さんにずいぶん不快な思いをさせてしまったと、少々落ち込んでおりました。こちらにもいらしているようなので、改めてお詫びします。

さて本題ですが、私は教育は国家事業だと思っています。国民が資金を出し合って、国家が運営するプログラムです。ちょっと国家が教育から完全に手を引いてみたらと想像してみましょう。公立校は全部民間に売却します。義務教育も廃止です。親はどこでも好きな学校に子供を通わせることが出来、自宅で教えても構いませんし、全く教育を与えなくても自由です。文部科学省も学習指導要領も廃止です。学校はどんな教科書を使って何を教えるか全く自由です。先生の資格も廃止です。学校は自分の責任で誰を先生として雇うことも可能です。

そんな環境ではマドラサのような学校がろくに読み書きも教えず、他者への憎しみだけを植え付けるようなことも起こり得るでしょう。それを考えれば国家が教育に果たす役割がいかに大きいかが分かるでしょう。国家が国の責任として、国の将来を担う子供達が受けるべき教育の基準、枠組みを決めているのです。

ですから卒業式は学校行事であると共に、国家行事の側面も備えていると思います。卒業式の当事者はそこに出席する人だけではなく、国家の構成員全てであるわけです。ですから卒業式はどのような形式であるべきかについて、誰もが意見を持つ権利があると思います。

教育は国家百年の計という言葉があります。国の将来を決めるのは教育次第だと言っても過言ではないでしょう。それほど国家にとって重要な教育における節目節目において、国家がその存在を示して何が悪いのでしょうか。国家はそれにふさわしい役割を担っているのですから。国の将来を担う子供達を育てるために国が用意したシステムです。そのシステム自体に異議があるならいざ知らず、みんな満足して子供達の教育を任せているのではないのですか?それなら国は顔を出すなと言う必要などどこにもないと思います。むしろ国家としてあなたたちの門出を祝っていると子供達に知ってもらうべきでしょう。

卒業式に国旗国歌を持ち込むべきかどうかを決めるに当たって、構成員は国民全部ですね。国民の税金で行われる式です。主催者は国民全員です。国旗国歌を持ち込むかどうか、国民全員が自分のこととして決めるって事です。その時式に出席する人だけが当事者って事ではないでしょう。と言うか、義務教育なんだから、式に出席する人が当事者とするとしても、やっぱり国民全員ですけどね。

沖縄の基地の例えですが、それは国民の一部の人にだけ負担を負わせるって話で、国旗国歌の場合は別に特定の人だけに押しつけるわけではありませんね。全員が同じ経験をするわけです。

ここで対立する意見は「国旗国歌のある卒業式を挙行しよう」と、「卒業式に国旗国歌はいらない」という意見です。国旗国歌がなければ人権侵害だなどとは誰も言っていないでしょう。そしてそれが基本的人権を侵害しないことというハードルを越えたなら、あとは多数決に従うしかないでしょう。それ以外に決める方法は思い付きません。

ここまでで気がついたことですが、国旗国歌に反対している人達は、日の丸君が代が過去の不幸な歴史を象徴しているから反対だと言ってはいますが、実はそれだけではなくて、国旗国歌の持ち込みそのものに反対していることです。過去の不幸な歴史を言うなら、国旗国歌を日の丸君が代から別のものに変えれば問題ないはずですが、それでもまだ反対と言うのではないでしょうか?

つまり嫌なのは国旗国歌ではなく、国そのものですね。国防軍だと威勢のいい安倍政権を嫌うのは分からないでもないですが、白砂さんの支持政党が何かは分かりませんが、例えば共産党だったとして、共産党が政権を取り、9条を堅持し、弱者を最優先するあなたにとって理想の政府が出来たとしたら、それでもまだ国は顔を出すなと言いますか?

戦後民主主義の教育システムは戦前と違い、自由で平和で繁栄した国を作る、そのための人を育てるためのシステムでしょう。日の丸君が代を押しつけることでそれと反対の道を進ませようとしている人も中にはいるのかも知れませんが、そんなことが出来るとは思えませんね。ほとんどの人は今の制度は民主的な国造りをめざすもので、その制度を支える国が大事な節目に顔を出すのはふさわしいことだと思っているのではないでしょうか。

秋原さん、コメントありがとうございます


> 私も白砂青松さんのブログは愛読させていただいています。

こちらこそ、いつもありがとうございます。

> あの手のコメントに返答していると、一コメントにつき一エントリーに近い労力を使いますので「足止め」されてしまうのがうっとうしくて(^^;

おっしゃる通りです。
特に、このgoldbugさんの今回のコメントは、ある意味、私の予想を超えていました(苦笑)。
まあその分、私はエントリの数を少なくさせてもらっているとも言えます。

> 「goldbugさんという方と何回かやり取りをやらせていただいたのですが、秋原さんもこれ以上は望まれないようでしたが・・」
> なんてことは一切ありません。

イエイエ、こちらも秋原さんのお考えは理解しているつもりです。
でも、今回のコメントを見ると、こちらに誘導して良かったと思ってます。

>日本の民主主義教育とは雲泥の差です。

結局、彼らにとっての民主主義とは与えられたもので、「自由」「民主」と名乗る政党に任せておけば、自分達が不利益を被ることは無いと彼らは信じており、それを守るために自分が何かをしなければならないなんて、全く頭に思い浮かばないようです。

> 理系分野では専門知識は尊ばれるのに、法学の分野では、専門知識は全く顧みられないのです。
> ですから、法のド素人が憲法の教授に向かって平気で「おまえは分かっていない、バカだ」という身の程知らずの暴言が吐けるのです。
> 医者に向かって手術の手順について「おまえは分かっていない、バカだ」といえる素人はみたことがありません。

私も、法律に関しては素人の理系人間ではありますけど、法はやはり論理性や整合性を大事にしており、その点は理系人間だって十分理解できるはずなんですけどね。
彼らの言っていることは、そのレベルで既に破綻しているのですが、なかなか理解してもらえません。

今後ともよろしくお願いします。


新たなエントリを立てました>goldbugさん


文量が多くなりそうですので、新たなエントリを立てました。

『日の丸・君が代に関するgoldbugさんへのお返事(Afternoon Cafeさんより)(2)』
http://whitesand0715.blog.fc2.com/blog-entry-56.html

よろしくお願いします。

ちょっとコメント

>人権が侵害されていないなら、多数に従うって、それのどこが民主主義なんです?

議会が作った法律には、国民(正しくは日本国の法律が適用される領域にいる何人)を従わせる強制力があります。自治体が作った条例、行政が発行する処分命令も同様です。

その意味では、私たちは「多数に従っている」のではないですか?別の意味では、分かりません。

as long as there is no violation of rights protected by the constitution.

ということです。ここで重要なのは、人権に対する侵害を認定する権限は、司法府にしか与えられていないことです。

>例えてみれば、沖縄の基地問題のようなある地域に取って悪影響がある問題を、日本国民全体で見れば多数意見だからといって、地域の声を無視して沖縄に押し付けておけば良いと言っているのがあなた。

しかし、憲法上の国民主権では、みんな同じ一票を有しているので、正当化されています。もちろんそれが、憲法で保護されている、個人の権利を侵害されていると訴訟で認められれば、1人の権利保護が、残りの1億数千万の意思に優越するのですが。



>もう一つ例え話をすれば、日本と中国が領有権を争っている尖閣諸島がどちらに帰属するか、それを当事者の投票で決めましょう、結果はおそらく圧倒的な差で中国の領土が多数意見となるでしょう、無人島の帰属が移ったって誰の「人権」も侵害しないのですから、日本国民もそれに従いましょう。

「当事者の投票で」での投票する人の所属国が異なるから、例として不適切ではないですか?


>もし、この「日の丸・君が代が式典に持ち込まれるのは、自分の思想・良心の自由の侵害だ」という意見が「少数の意見」だと言うなら、比較すべき「多数の意見」とは、構成員の範囲を揃えれば「日の丸・君が代が式典に持ち込まれないのは、自分の思想・良心の自由の侵害だ」の筈です。

これって、論理的におかしくないですか?

A:日の丸・君が代が式典に持ち込まれること
B:自分の思想・良心の自由の侵害であること

A if and only if B

という主張ですよね? A and not Bが成立しないことを証明しないといけないのでは?

ただ、構成員の範囲なる概念が、形式論理でどのようになるのかがあいまいなのですが、、、

構成員の範囲を、「適切に」定める。このとき、A and not Bだと述べている???

随分前のエントリにコメントをいただきましたが

けんとさん

>議会が作った法律には、国民(正しくは日本国の法律が適用される領域にいる何人)を従わせる強制力があります。自治体が作った条例、行政が発行する処分命令も同様です。

>その意味では、私たちは「多数に従っている」のではないですか?別の意味では、分かりません。

そもそも、このやり取りの意味をどこまで理解されているのでしょうか。
しかも、このエントリは一連のやり取りの中の途中経過。
何故、ここだけ切り取ろうとなされたのか、理解に苦しみます。

従って、そういう法律や条例が「議会の多数意見によって制定されている」のはその通り。
でも、それと「人権が侵害されていないなら、多数に従う」って話は全くの別問題。

あなたは、明日、あなたが何を食べるのか、「多数に従う」のですか?
そんなバカなことはしないでしょ?

民主主義にとって一番大事なことは、自分が決めるという意志を持つことですよ。

>ここで重要なのは、人権に対する侵害を認定する権限は、司法府にしか与えられていないことです。

ということで、話はズレますけど、これまたあなたの理解は現実とは異なっていますね。

人権に対する侵害の認定は、司法府の判断が無くても是正されるべきもの、それが重要なんです。
なぜなら、あなたの考え方なら、他人にどんな嫌がらせをしても、相手が裁判に訴えて司法判断が下らない限り、それは人権侵害ではない、即ち、やりたい放題ということになるのですから。

司法にできるのは、過去に起こった事象に対して、法律に照らして適否を判断するだけ。
つまり、現在進行形の事象を是正するものではありません。
現に、いじめによる自殺なんてものが度々起きていますが、その中で、司法が被害者の自殺前に人権侵害を認定したケースなど、ほとんど存在しないでしょう。
そして、自殺した後に司法が人権侵害を認定したって、

だから、こういった「いじめ」とか「ハラスメント」と呼ばれるものは、学校や企業、あるいはそれらを束ねる組織の内部に、それを是正するための手段が用意されているものなのですよ。

ということで、司法が人権侵害を判断していないというのは、それが確定していないという意味でしかなく、それが存在しないということは意味していないのです。

>しかし、憲法上の国民主権では、みんな同じ一票を有しているので、正当化されています。

だからそれがおかしいと言っているのですよ。
沖縄の不利益に関わる問題に対して、沖縄に住んでいる人間と、全く離れた土地に住んでいる人間が、「みんな同じ一票」で良いのかということ。

そして、あなたもそれがおかしいと思っているから、

>「当事者の投票で」での投票する人の所属国が異なるから、例として不適切ではないですか?

こんなことを書いたのでしょ。

でも、あなたが言っている「みんな同じ一票を有しているので、正当化されています」が正しいなら、おかしくもなんともありません。
日中間の紛争なんですから、当事者は日本国民と中国国民、「みんな同じ一票」なんでしょ。

沖縄の不利益に関する問題に対して「所属県が異なる」という発想があなたに無い以上、尖閣の問題で「所属国が異なる」とあなたがおっしゃるのはダブスタということになります。

>A:日の丸・君が代が式典に持ち込まれること
>B:自分の思想・良心の自由の侵害であること

>A if and only if B

>という主張ですよね?

全く違いますけど。
Aなんて、Bの単なる一例でしかありませんよ。

よって多数意見か少数意見かを比較するのは、

A1:日の丸・君が代が式典に持ち込まれること
A2:日の丸・君が代が式典に持ち込まれないこと

が、それぞれ、

B:自分の思想・良心の自由の侵害であること

と言っている人の数を比較すべきなのであって、このエントリの対象となった方ですら、A2ならBの人ではなかったので、おそらく「日の丸・君が代が式典に持ち込まれるのは、自分の思想・良心の自由の侵害だ」が圧倒的多数を占めるだろうということは容易に想像できます。

>ただ、構成員の範囲なる概念が、形式論理でどのようになるのかがあいまいなのですが、、、

まずあなたの論理に対する認識があいまいってことを自覚して下さい。

ちなみにあなたはいかがですか?
もしA2ならBとおっしゃるなら、ご自分の主催する結婚式やお葬式といった式典に日の丸・君が代を入れた、もしくは入れるつもりってことですよね。


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