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日の丸・君が代に関するgoldbugさんへのお返事(Afternoon Cafeさんより)(2)

一昨日のエントリ日の丸・君が代に関するgoldbugさんへのお返事(Afternoon Cafeさんより)』に対して、goldbugさんからコメントをいただきました。

返信が長くなりそうなので、新たなエントリを作ります。

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白砂さん、まずこうした場を設けて頂いて有難うございます。秋原さんにずいぶん不快な思いをさせてしまったと、少々落ち込んでおりました。こちらにもいらしているようなので、改めてお詫びします。

さて本題ですが、私は教育は国家事業だと思っています。国民が資金を出し合って、国家が運営するプログラムです。ちょっと国家が教育から完全に手を引いてみたらと想像してみましょう。公立校は全部民間に売却します。義務教育も廃止です。親はどこでも好きな学校に子供を通わせることが出来、自宅で教えても構いませんし、全く教育を与えなくても自由です。文部科学省も学習指導要領も廃止です。学校はどんな教科書を使って何を教えるか全く自由です。先生の資格も廃止です。学校は自分の責任で誰を先生として雇うことも可能です。

そんな環境ではマドラサのような学校がろくに読み書きも教えず、他者への憎しみだけを植え付けるようなことも起こり得るでしょう。それを考えれば国家が教育に果たす役割がいかに大きいかが分かるでしょう。国家が国の責任として、国の将来を担う子供達が受けるべき教育の基準、枠組みを決めているのです。

ですから卒業式は学校行事であると共に、国家行事の側面も備えていると思います。卒業式の当事者はそこに出席する人だけではなく、国家の構成員全てであるわけです。ですから卒業式はどのような形式であるべきかについて、誰もが意見を持つ権利があると思います。

教育は国家百年の計という言葉があります。国の将来を決めるのは教育次第だと言っても過言ではないでしょう。それほど国家にとって重要な教育における節目節目において、国家がその存在を示して何が悪いのでしょうか。国家はそれにふさわしい役割を担っているのですから。国の将来を担う子供達を育てるために国が用意したシステムです。そのシステム自体に異議があるならいざ知らず、みんな満足して子供達の教育を任せているのではないのですか?それなら国は顔を出すなと言う必要などどこにもないと思います。むしろ国家としてあなたたちの門出を祝っていると子供達に知ってもらうべきでしょう。

卒業式に国旗国歌を持ち込むべきかどうかを決めるに当たって、構成員は国民全部ですね。国民の税金で行われる式です。主催者は国民全員です。国旗国歌を持ち込むかどうか、国民全員が自分のこととして決めるって事です。その時式に出席する人だけが当事者って事ではないでしょう。と言うか、義務教育なんだから、式に出席する人が当事者とするとしても、やっぱり国民全員ですけどね。

沖縄の基地の例えですが、それは国民の一部の人にだけ負担を負わせるって話で、国旗国歌の場合は別に特定の人だけに押しつけるわけではありませんね。全員が同じ経験をするわけです。

ここで対立する意見は「国旗国歌のある卒業式を挙行しよう」と、「卒業式に国旗国歌はいらない」という意見です。国旗国歌がなければ人権侵害だなどとは誰も言っていないでしょう。そしてそれが基本的人権を侵害しないことというハードルを越えたなら、あとは多数決に従うしかないでしょう。それ以外に決める方法は思い付きません。

ここまでで気がついたことですが、国旗国歌に反対している人達は、日の丸君が代が過去の不幸な歴史を象徴しているから反対だと言ってはいますが、実はそれだけではなくて、国旗国歌の持ち込みそのものに反対していることです。過去の不幸な歴史を言うなら、国旗国歌を日の丸君が代から別のものに変えれば問題ないはずですが、それでもまだ反対と言うのではないでしょうか?

つまり嫌なのは国旗国歌ではなく、国そのものですね。国防軍だと威勢のいい安倍政権を嫌うのは分からないでもないですが、白砂さんの支持政党が何かは分かりませんが、例えば共産党だったとして、共産党が政権を取り、9条を堅持し、弱者を最優先するあなたにとって理想の政府が出来たとしたら、それでもまだ国は顔を出すなと言いますか?

戦後民主主義の教育システムは戦前と違い、自由で平和で繁栄した国を作る、そのための人を育てるためのシステムでしょう。日の丸君が代を押しつけることでそれと反対の道を進ませようとしている人も中にはいるのかも知れませんが、そんなことが出来るとは思えませんね。ほとんどの人は今の制度は民主的な国造りをめざすもので、その制度を支える国が大事な節目に顔を出すのはふさわしいことだと思っているのではないでしょうか。
------------------------------

これに対しての私の答えは以下の通り。

==============================

さて本題ですが、私は教育は国家事業だと思っています。国民が資金を出し合って、国家が運営するプログラムです。

そうあってはならない、というのが戦前の日本の教育に対する反省であり、先進国と呼ばれる民主主義国家の常識でしょう。

そんな環境ではマドラサのような学校がろくに読み書きも教えず、他者への憎しみだけを植え付けるようなことも起こり得るでしょう。それを考えれば国家が教育に果たす役割がいかに大きいかが分かるでしょう。国家が国の責任として、国の将来を担う子供達が受けるべき教育の基準、枠組みを決めているのです。

「ろくに読み書きも教えず」なんて学校に、子供を通わせる親がどれだけいると言うのです。そういう極端な例があたかも一般的であるかのように装って否定するのは、詭弁ですね。

そして、あなたの言う「国家」とやらがその責任において行う教育で、「ろくに読み書きも教えず、他者への憎しみだけを植え付けるようなことも起こり得る」のであり、現実に非民主的と言われる政体の国では、異なる政治的方向性の持ち主を極端に貶めるような教育を施すことで、教育を為政者が自分達の権力を維持する道具に使っているのは否めないでしょう。
あなたの持っている「危惧」に対して、あなたが主張する方法は何の解決策にもなっていません

ですから卒業式は学校行事であると共に、国家行事の側面も備えていると思います。卒業式の当事者はそこに出席する人だけではなく、国家の構成員全てであるわけです。ですから卒業式はどのような形式であるべきかについて、誰もが意見を持つ権利があると思います。

だったら、民主主義国家の行事として、思想・良心の自由こそをそこで実践するべきでしょう。
そこで、日の丸・君が代の強制を行うということは、日本が思想・良心の自由を捨てるべきである。少数者の権利など認める必要は無いと、あなたは主張しているのと同じですよ。

教育は国家百年の計という言葉があります。国の将来を決めるのは教育次第だと言っても過言ではないでしょう。それほど国家にとって重要な教育における節目節目において、国家がその存在を示して何が悪いのでしょうか。

民主主義国家において、一つの政権が「百年」も続いたら大問題じゃありませんか。
民主主義国家において「国家百年の計」を語るなら、時の政権の考え方と異なる思想を持つ事も、またその主張をすることもできるのだということこそ、「教育」すべきなのであり、国家を重視すればするほど、「政治」とは距離を置くべきであるということですよ。
あなたの言う「国家」とは時の「政権」のことでしかない。
あなたは、将来日の丸・君が代に対して否定的な考え方を持つ政権が成立するかもしれないなんてことを、少しも考えてはいないでしょ。

そんな一つの思想を押し付けるようなことを教育の名の下に行うなんてことは、それこそ「国家百年の計」から見れば害悪でしかありませんよ。

国の将来を担う子供達を育てるために国が用意したシステムです。そのシステム自体に異議があるならいざ知らず、みんな満足して子供達の教育を任せているのではないのですか?それなら国は顔を出すなと言う必要などどこにもないと思います。むしろ国家としてあなたたちの門出を祝っていると子供達に知ってもらうべきでしょう。

教育の内容にまで時の政権が口を挟み、自分達に都合の良いような国民を養成しようとするシステムなんてものに、私は満足することなどありませんし、余計なお世話という人の方が多いと思いますね。
でなければ、何でこんなに私立の小中学校なんてものが存在しているんです?

卒業式に国旗国歌を持ち込むべきかどうかを決めるに当たって、構成員は国民全部ですね。国民の税金で行われる式です。主催者は国民全員です。

だったら、あなたの結婚式も親族のお葬式もそうですよ。国がその税金を使って認定を行っているのですから。

国旗国歌を持ち込むかどうか、国民全員が自分のこととして決めるって事です。

で、そんな決定を何時、国民全員に聞いたんです?

沖縄の基地の例えですが、それは国民の一部の人にだけ負担を負わせるって話で、国旗国歌の場合は別に特定の人だけに押しつけるわけではありませんね。全員が同じ経験をするわけです。

全員が同じ経験なんて妄想もたいがいに。
圧倒的多数の人々は、自分自身や子供が関係していなければ学校行事なんてものには無縁です。全員が同じ経験だなんて、実際に式に出て君が代を歌わせられる人々と、無関係な野次馬を同列に扱うなど乱暴もいいとこですよ。

本当に「全員が同じ経験をする」状態を作るなら、やはり、結婚式もお葬式も、儀式と名のつくものには全て「日の丸・君が代」を式次第に入れさせなければなりませんね。
でも、それはあなた自身が「場違い」と否定した。
つまり、あなたは「全員に同じ経験」なんてさせるつもりはさらさら無い。ただ、教育現場にだけ押し付けようとしているってことは、既に明らかなんですよ。

ここで対立する意見は「国旗国歌のある卒業式を挙行しよう」と、「卒業式に国旗国歌はいらない」という意見です。国旗国歌がなければ人権侵害だなどとは誰も言っていないでしょう。

だったら、あなたの言う「国旗国歌のある卒業式を挙行しよう」は対立する意見の資格を満たさないってことです。だって相手方は人権侵害を訴えているのですから。

そしてそれが基本的人権を侵害しないことというハードルを越えたなら、あとは多数決に従うしかないでしょう。それ以外に決める方法は思い付きません。

だから、思想・良心の自由を制約していると裁判所は言ってます。
加えて、多数決なんて取っていないではありませんか。
対立する意見とは「国旗国歌のある卒業式でなければ、自分の人権が侵害される」であり、それが多数であったなどという調査結果を私は見たことがありません。

過去の不幸な歴史を言うなら、国旗国歌を日の丸君が代から別のものに変えれば問題ないはずですが、それでもまだ反対と言うのではないでしょうか?

ですから、そんなものを押しつけさえしなければ、日の丸・君が代だって対して問題ではないんですよ。国旗だ国歌だなんて言ったって、オリンピックの表彰式くらいでしか出てこなければ、不幸な歴史があったって、ほとんどの人は気にしない。
そういう存在にしておけってことです。

つまり嫌なのは国旗国歌ではなく、国そのものですね。

違いますね。嫌なのは国旗国歌ではなく、それを利用して、他人の思想・良心の自由の侵害を平気で行おうとするあなた方、そしてそのあなた方が支持する自称「保守」の政権です。

ある意味、日の丸・君が代も気の毒だとは思ってますよ。あなた方に汚されて

あなたにとって理想の政府が出来たとしたら、それでもまだ国は顔を出すなと言いますか?

もちろんです。
「教育は国家百年の計」なんですから。


戦後民主主義の教育システムは戦前と違い、自由で平和で繁栄した国を作る、そのための人を育てるためのシステムでしょう。

ちょっと違うでしょうね。

旧教育基本法に書かれていた教育の目的は、

『平和な国家及び社会の形成者として真理と正義を愛し個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない』

「国を作る」ことは目的じゃありません。作るのは「国民」であり、しかも「個人の価値をたつとび」です。

一方、前の安倍内閣によって改訂された現教育基本法に書かれている教育の目的は、

『教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。』

こちらですら、「国を作る」なんてことは目的とされていません。

日の丸君が代を押しつけることでそれと反対の道を進ませようとしている人も中にはいるのかも知れませんが、そんなことが出来るとは思えませんね。

出来るだろうし、現にあなたはそれを目指しているではありませんか。
「国家百年の計」と言いながら、その間、日の丸・君が代に対して、自分とは異なる価値観を持った政権が出来ることはこれっぽっちも考えていない。
即ち、そのような多様な考え方が共存するような民主的な国ではない日本にするために、「国の意志」で教育するんだとおっしゃっているではありませんか。

そういう本音が、あなたの書き込みのそこかしこから漏れ出て来ていますよ。

ほとんどの人は今の制度は民主的な国造りをめざすもので、その制度を支える国が大事な節目に顔を出すのはふさわしいことだと思っているのではないでしょうか。

あなたは、秋原さんのところで

『そしてどんな社会、国であっても儀式で国旗国歌に敬意を払うのは常識だと思います。起立し、斉唱するのがデフォルトってことです。国旗に対して起立もしなければ、国歌を斉唱もしないというのはいわば常識外れの状態です。』

なんてお書きになってましたけど、それに対して、一般的に先進国と呼ばれる民主的な国では学校行事に国旗国歌なんて持ち込まないのがデフォルトだと教えて差し上げましたよね。

にも関わらず、ご意見を変えないということは、この点からも、あなたは「民主的な国造りをめざす」必要は無いとお考えになっていると、判断されますね。

===============================

そんなに日の丸・君が代が好きなら、せいぜい自分主催の結婚式でもお葬式でも使って下さいな。
でも、それを他人に押し付けないで下さい、民主的な政体を持つ日本を維持しようと思うならってことです。
民主的な政体を維持のためには、思想・良心の自由を守るのが基礎の基礎であり、それに必要なのは「調べない」ということなのですから。

では。

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コメント

これで終わりにします

>対立する意見とは「国旗国歌のある卒業式でなければ、自分の人権が侵害される」であり

例えばポルノの規制はどうでしょうか?それは作る人達にとっては表現の自由の制約であるわけですが、規制を望む人達にとって、規制がなくポルノが街角に氾濫する状態は自分達の人権の侵害なのかというと、そういうわけではないですね。子供にとって有害だということで、人権侵害とは関係ありませんね。国旗国歌の問題でも同じことだと思います。

その他の点については何を書いてもこれまでに書いたことを繰り返すだけになってしまうので、この辺で終わりにさせて頂きたいと思います。国旗国歌が卒業式にふさわしいという考えは変わりませんが、拒否したい先生達は少し気の毒だという気がしてきました。立たない権利は認められてもよかったかも知れません。

それでは、またお邪魔させて頂きます。

表現の自由ではなく、思想・良心の自由だと何度言えば良いのでしょう


goldbugさん

>例えばポルノの規制はどうでしょうか?それは作る人達にとっては表現の自由の制約であるわけですが、規制を望む人達にとって、規制がなくポルノが街角に氾濫する状態は自分達の人権の侵害なのかというと、そういうわけではないですね。子供にとって有害だということで、人権侵害とは関係ありませんね。国旗国歌の問題でも同じことだと思います。

「ポルノ規制」とはどちらを指すのでしょうか。
年齢制限のことなのでしょうか。それともあるレベル以上の猥褻表現はダメという話なのでしょうか。
「作る人達にとっては表現の自由の制約」とおっしゃっているので後者のようにも見えますが、「子供にとって有害だということで、人権侵害とは関係ありませんね。」と前者のこともおっしゃっている。

年齢制限の話なら、それは作り手側の表現の自由を制約などしていません。逆にそれが表現の自由の制約などという話になったら、世の中にある数多の年齢制限が全て違憲となってしまいます。
一方、あるレベル以上の猥褻表現はダメという話なのであれば、それは年齢には関係ない、即ち子供にとって有害云々ではなく「善良な性的道義に反する」という社会的法益を害するからです。よって、それは一般人の人権を侵害することを問題視しているのです。

どうもあなたは、こういったところで適当なつまみ食いが多過ぎます。
もう少し、ご自分がおっしゃっていることの意味を良く確かめていただきたいと思います。

で、「国旗国歌の問題でも同じこと」ですって? 全く違いますね。
これは憲法21条にある表現の自由ではなく、憲法19条の思想・良心の自由の問題であると、何度も何度も申しているのですけど、どうしてこういう取り違いをなさるのでしょうか?

もう少し、他人が何を言っているのか、真剣に読んでいただけませんでしょうかね。私は、あなたの頭の中であなたの振り付け通りの行動を取るキャラクターではないのですよ?
おそらくあなたは、他人の意見を勝手に脳内変換して「こう言っているに決まっている」決めつけるから、何故、「日の丸・君が代」が学校行事に入って来ることが危ないのか理解できないのですよ。

日の丸、君が代が学校行事に入らなかったからと言って、それのどこが「人権侵害」だと言うのでしょう。それだけの主張をする勇気が無い人々が、他人の人権を侵害することにこうも無頓着になれる。
もし、学校行事で「日の丸・君が代」を強要した「国の意志」に基づく「教育」の結果、あなたのような人ができあがったのだとしたら、失礼ながら、あなた自身が「日の丸・君が代」教育の危険な成果品なのだと認識していただけるとありがたい、ということにもなりましょうか。


>その他の点については何を書いてもこれまでに書いたことを繰り返すだけになってしまうので、この辺で終わりにさせて頂きたいと思います。

ということは、結婚式・お葬式の件で、当事者以外とも話し合ったり、逆に税金が使われていることを無視したり、教育は国家百年の計と言いつつ、百年のスパンなら異なる方向性の政権が誕生する可能性があることを無視したり、先進国では学校行事に国旗国歌を持ち込まないのがデフォルトであるという客観的事実を真っ向から否定したり、こういったあなたの発言の諸々の不整合には全て頬被りをなさるということですね。

これで世の中通用する、そう考えるような人物を育てるのが「日の丸・君が代」教育の成果であるなら、やはりあんなものは学校行事に入れるべきではない、と言って良さそうです。

そして、これが「国の意志」によるものであるなら、その「国(政権)」は「民主的な国造り」などめざしてはいないと、考えるべきでしょうね。

では。

なぜそんなに日本が嫌いなのに住み着いてるんだろう 
早く出てけよ ごみ

あなたが日本を嫌いなんでしょ

名無しの権兵衛さん

> なぜそんなに日本が嫌いなのに住み着いてるんだろう 

私が日本に住み着いているのは日本が好きな日本人だからですよ。
日本国憲法の下、多様な意見を尊重し、公共の福祉のために皆が力を合わせ、過去の侵略を反省して平和主義に徹し、他者の人権も尊重する。宗教の押しつけなどもっての他、日本は戦後60年以上にわたってそういう国を築いて来たはずだった。
でも、そういう日本が大嫌いなあなた方や、安倍晋三達が、そういう日本を壊そうとしている。
私とあなた、どちらが日本を嫌いかと言えば、間違いなくあなたですよ。

> 早く出てけよ ごみ

お断りです。
で、ほんとはそのままお返ししたいところですけど、そういうことを言うのは日本国憲法の趣旨に反するので、ここでは申しません。


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   秋原葉月さんの「Afternoon Cafe」ブログの記事、「極右排外主義政党になりはてた自民党」のコメント欄についていたコメントをこちらにも記録させていただき


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