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今日が最後の憲法記念日になるかもしれない

夏の参議院議員選挙で、日本を前近代国家に引き戻そうしている勢力が、悪くすると3分の2の議席を取るかもしれません。

自民党はとりあえずの争点隠しのために96条を改正するという姑息な手を使おうとしていますが、こんなことを許したら、時の権力を掌握しているものが、好き勝手に憲法を変える事ができるようになる。
そうなれば、もはや政治家の「憲法を守る」という言葉には、枕に(自分の好きなように改正して)がくっつけられるようになり、何の意味もなくなるということです。

96条改正の先に何があるかと言えば、立憲主義の意味も芦部信喜の名も知らない安倍坊ちゃん一派が、おそらく産経新聞が身の程知らずにも紙面に載せたような、ただ、権力者が国民に命令する目的で作られた薄っぺらな改憲案を提示してくるのは火を見るより明らか。

このようなことが行われれば、日本はもはや立憲主義の国ではなくなり、憲法は一介の法律と何ら変わりない、ただ国民を縛り付けるための道具となってしまいます。
そのような堕落した憲法をもはや憲法と呼ぶことはできない。

「今日が最後の憲法記念日になるかもしれない」

私のこの恐怖感が杞憂に終わってくれることを祈るとともに、自分が何をすべきかを考えたいと思います。
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テーマ : 憲法改正論議 - ジャンル : 政治・経済

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コメント

安倍が芦辺信善の名前を知らないって話が事実なら本当におったまげますね。これじゃあ平凡な法学部の学生をはるかに下回る憲法知識しかないといわれても仕方ない。はっきり言って、彼は憲法の基本書もろくに読んでいなさそうです。

>今日が最後の憲法記念日になるかもしれない

本当に心配です…。昨日(5月2日)の朝日新聞によると、96条の改正に国民は必ずしも賛成多数でもないようですが、この辺りは連中も全力を尽くして賛成に回ス用に努力するでしょうしね。

それにしても9条改憲はハードルが高いから96条からというのがなんともおっしゃるように姑息です。私も

>自分が何をすべきかを考えたいと思います。

と考えておりますので、貴ブログからいろいろ勉強させて頂きたいと思います。

てめえのようなバカにはすみにくい街になるだろうなw

こんなことを許したら、時の権力を掌握しているものが、好き勝手に憲法を変える事ができるようになる。

www

最後には国民投票があるだろww
その時点で好き勝手じゃねーよ。
更に憲法改正は国民の憲法制定力と自然法思想に基づく以上、基本的人権自体を制限することはできないよw。何を震えておるのやら。

お気楽なことで

あさん

>てめえのようなバカにはすみにくい街になるだろうなw

こんなコメントを書くことすらできなくなるかもしれないんですけどね。
そういう危機感が全くないようで、お目出度いことです。


> 最後には国民投票があるだろww
> その時点で好き勝手じゃねーよ。

国会の過半数をとっているってことは、原則として国民の過半数の支持を得ているということですよ。
更には、改憲を発議する側が、国民投票の際の広報のやり方を仕切るってことになってますよ。

発議を過半数とした時点で好き勝手です。


> 更に憲法改正は国民の憲法制定力と自然法思想に基づく以上、基本的人権自体を制限することはできないよw。何を震えておるのやら。

できないって、立憲主義を知らないと言っている連中が改憲をやろうとしているんですよ?
それが「できない」ことを彼らは知らないということだし、基本的人権自体を制限する改憲案が国会や国民投票で過半数の支持を得ることを妨げる条文など、現憲法にはありませんよ。

あなたの思い込みこそが浮世離れでしょう。



人権は神に与えられるものじゃない

合衆国憲法修正第1条から修正第10条は、市民の基本的人権に関する規定です。アメリカ人の基本的人権がここに規定されているわけです。そして憲法修正第2条で武器を持つ権利を保障しています。ですから武器を持つ権利は基本的人権であることが分かります。

そしてもちろん我が国の憲法はその基本的人権を保障してはいません。この事実が如実に物語るのは、天賦人権説は嘘だということです。基本的人権は神様が与えるものではなく、その国ごとに国家が個別に国民に付与する権利だということです。

天賦人権説を否定するのですね

goldbugさん

> そしてもちろん我が国の憲法はその基本的人権を保障してはいません。この事実が如実に物語るのは、天賦人権説は嘘だということです。基本的人権は神様が与えるものではなく、その国ごとに国家が個別に国民に付与する権利だということです。

おっしゃりたいことがよくわかりませんが。
現在の憲法は基本的人権を保障していますよ。
でも、基本的人権を保障しないような改憲をすることを妨げることはできない、というだけのことです。

国家が国民に与える権利など、時の為政者に都合の良いものであり、それは「基本的人権」になどならず、為政者の権利/権限を守るものにしかならないのは、明治憲法をみても明らかでしょう。
基本的人権は、人間が生まれながらにして持っている権利です。でも、その権利は人間の努力によって守られるのです。
安倍一派のやろうとしている改憲はその努力を無にしようというものでしょう。


銃を持つ権利のことです

私が「その基本的人権」と書いたのは、基本的人権一般のことではなく、銃を持つ権利のことです。日本の憲法はこの基本的人権を保障していません。もし基本的人権が神によって与えられるものならば、ある国の人にとっては権利だが、別の国の人にとってはそうではないということはないはずです。

しかし銃を持つ権利は基本的人権であるにも関わらず、アメリカでは保障されていますが、日本では保障されていません。これは一体どういうことでしょうか?基本的人権なのに、国が違えば持つ人と持たない人がいます。一番合理的な答えは、基本的人権は神が与えるものではなく、国が与えるものだということではないでしょうか。

銃を持つ権利はあくまでも銃を持つ権利です

goldbugさん

> 私が「その基本的人権」と書いたのは、基本的人権一般のことではなく、銃を持つ権利のことです。日本の憲法はこの基本的人権を保障していません。もし基本的人権が神によって与えられるものならば、ある国の人にとっては権利だが、別の国の人にとってはそうではないということはないはずです。

「銃を持つ権利」イコール「基本的人権」ではありません。
「基本的人権」とは、「人間が人間らしく生きていくために必要な、基本的な自由と権利」の総称であり、それは人が産まれながらにして持っているものだというのが天賦人権説です。
そして「銃を持つ権利」とは、アメリカという国がその権利を「基本的人権」の一要素として扱っているというだけのことであり、それが別の国の人にとってはそうではないとしても、「天賦人権説は嘘」というのはロジックとして成り立ちません。

> しかし銃を持つ権利は基本的人権であるにも関わらず、アメリカでは保障されていますが、日本では保障されていません。これは一体どういうことでしょうか?

だから銃を持つ権利を基本的人権として扱っているのがアメリカであり、扱っていないのがその他の国というだけのこと。
でも、どちらも「基本的人権」は人が産まれながらにして持っているものという天賦人権説に則っていることになんら違いはありません。

>基本的人権なのに、国が違えば持つ人と持たない人がいます。一番合理的な答えは、基本的人権は神が与えるものではなく、国が与えるものだということではないでしょうか。

あなたが、銃を持つ権利イコール基本的人権という認識をしているところが間違っている、というのが一番合理的な答えです。
千代田区の住民票を持っていれば東京都民かもしれませんけど、持っていなくたって東京都民はいくらでもいます。

そして、自民党は「銃を持つ権利」などという要素の話をしているのではなく、「基本的人権」そのものに対して天賦人権説を改めると言っているのです。


基本的人権は好きに決められる?

基本的人権は神が人に与えたもので、それを国家権力が侵害することは出来ないが、個別に何が基本的人権に当たるのかは国家がそれぞれ決めることが出来るということでしょうか。例えばアメリカという国は銃を持つ権利を基本的人権と認めるが、日本はそれを基本的人権とは認めないという具合にです。

だとすると例えば日本が今度の憲法改正で、思想信条の自由はこれは基本的人権の一要素として認めないとすることも可能ではないでしょうか。このように国家が恣意的に何が基本的人権かを決めることが出来るのなら、それは基本的人権は神が与えるものではなく、国家が与える権利だと言うのと変わりないと思います。

基本的人権を守るために必要なものと、それに何を加えるかは別の話

goldbugさん

> 基本的人権は神が人に与えたもので、それを国家権力が侵害することは出来ないが、個別に何が基本的人権に当たるのかは国家がそれぞれ決めることが出来るということでしょうか。

違います。
基本的人権の内容として、最低限おさえなければならないものとして、法の下の平等や、思想・良心・信仰・集会・結社の自由、公開裁判の保障、参政権といったものはありますから、それを認めていない国は、基本的人権を尊重していない国となります。

>例えばアメリカという国は銃を持つ権利を基本的人権と認めるが、日本はそれを基本的人権とは認めないという具合にです。

でも、それらに加えて他の権利を「基本的人権」だと称するのは、その国の勝手だということですよ。

> だとすると例えば日本が今度の憲法改正で、思想信条の自由はこれは基本的人権の一要素として認めないとすることも可能ではないでしょうか。

「だとすると」ではありえませんね。
思想信条の自由を認めないなら、日本は基本的人権を尊重しない国となります。

でも、安倍一派のように天賦人権説を否定する者が政権を握り、改憲のハードルを下げれば可能ですね。
それを妨げることは憲法にはできません。

>このように国家が恣意的に何が基本的人権かを決めることが出来るのなら、それは基本的人権は神が与えるものではなく、国家が与える権利だと言うのと変わりないと思います。

話がアベコベですね。
国家が与える権利だと思っているから、憲法をそんな風に書き換えることができるんですよ。
神が与えるものだと思っているから、それだけは手をつけてはいけないという「畏れ」によって基本的人権を守ることができるのです。



自己保存は重要な基本的人権

>それらに加えて他の権利を「基本的人権」だと称するのは、その国の勝手

銃を持つ権利は基本的人権ではなく、アメリカが勝手にそれを基本的人権と呼んでいるだけという意味でしょうか?銃を持つ権利は思想、良心、信仰の自由のように最低限抑えておかなければならないものには入らないと仰っているのでしょうか。銃を持つ権利は娯楽のために持つ権利といった話ではありません。銃を持つ目的は自己保存のためです。自分の命を守るためです。人は思想、良心、信仰の自由はあるが、自分の命を守る権利はないと言うのはおかしな話だと思います。むしろ自己保存の権利というのは、思想、良心、信仰の自由などよりも真っ先に基本的人権に数えるべきものではないでしょうか。

自己保存の権利が思想、良心、信仰などの権利と同等、またはそれ以上に重要な基本的人権だと認めるなら、それが憲法で保障されていないのはおかしいということになります。日本の憲法は保障すべき基本的人権を保障していないので、その部分に欠陥があると言うべきなのか、そうでないと言うなら、基本的人権はやはり神が与えるのではなく、国家が与えるものだということになるでしょう。

自己保存は重要な基本的人権であって銃が無くても実現できます

goldbugさん

> 銃を持つ権利は基本的人権ではなく、アメリカが勝手にそれを基本的人権と呼んでいるだけという意味でしょうか?

普遍的なものとされてはいないというなら、その通りです。

>銃を持つ目的は自己保存のためです。自分の命を守るためです。人は思想、良心、信仰の自由はあるが、自分の命を守る権利はないと言うのはおかしな話だと思います。むしろ自己保存の権利というのは、思想、良心、信仰の自由などよりも真っ先に基本的人権に数えるべきものではないでしょうか。

ホラホラ、話をすり替えているじゃありませんか。
銃を持つ目的が自己保存のためだとしても、銃を持たないから自己保存の権利が無いなどという論理は成立しません。

> 自己保存の権利が思想、良心、信仰などの権利と同等、またはそれ以上に重要な基本的人権だと認めるなら、それが憲法で保障されていないのはおかしいということになります。日本の憲法は保障すべき基本的人権を保障していないので、その部分に欠陥があると言うべきなのか、

「自己保存の権利」なら、日本国憲法でだって保障されていますよ。25条をご存知ないのですか?

>そうでないと言うなら、基本的人権はやはり神が与えるのではなく、国家が与えるものだということになるでしょう。

あなたが銃を持たなければ自己保存ができないと論証してから、そういうことはおっしゃって下さい。
そして、自己保存の権利が保障されていないはずの日本人がどうしてこんなに生き残っているのかも、ぜひ説明して下さい。




目の前の脅威から自分を守るのは自分

あなたが誰かに攻撃された時、その人間が武器を持っていたり、また単純にあなたより強い場合、あなたはその劣勢を跳ね返すのに十分な武装をすることが出来なければなりません。そのような権利は政府以前の自然状態で存在します。自己保存は自然状態の最初の法です。

人が社会に入る時に放棄する唯一の権利は自分に関わる争いに審判を下し、その審判を執行する権利です。それを放棄する理由は政府に生命、自由、財産の保護を提供してもらうためです。しかしその権限は過去に起きた犯罪にしか適用されません。政府は将来または現在に権限を行使することは出来ません。誰かを明日犯す犯罪で起訴したり、今現在起きている犯罪からあなたを守ることは出来ません。

ですからあなたは今現在起きている攻撃から自らを守る権利を有しているのです。後になって司法に訴えれば犯人を罰し、奪われたものを取り返すことは出来るかも知れませんが、命を失ってしまっては取り返しが付きません。故に武器を所有し携帯する権利は自然状態で存在し、どのような社会契約でも放棄することはありません。なぜなら政府は今現在あなたを守ることは出来ないからです。

---

銃を持つ権利を基本的人権とするのはおおよそこういった議論のようです。要するに目の前にいる攻撃者から自分を守ることは政府には出来ないので、自分で守るしかないってことでしょう。この権利は17世紀のイギリスにまで遡る由緒あるもので、何よりも古いと言ってもいいと思います。他の権利と較べて普遍的でないと言うことは出来ないでしょう。

目の前の脅威から自分を守るのは自分でもそれに銃は必要ない

goldbugさん

>銃を持つ権利を基本的人権とするのはおおよそこういった議論のようです。

すみません「こういった」と書かれているということは、これはあなたの書いた文章ではないのですね。
だったら、ちゃんと出典を明示して下さい。これは引用におけるルールの問題です。


>この権利は17世紀のイギリスにまで遡る由緒あるもので、何よりも古いと言ってもいいと思います。

といわれても、現実にイギリスの国民は個人で銃を持つ権利をもっていないではありませんか。
「遡る由緒あるもの」とは「権利」ではなく「議論」にすぎないのでしょ。


>他の権利と較べて普遍的でないと言うことは出来ないでしょう。

ですから、銃を持つ権利を与えられていない国の国民がどうして生き残っているのかを含めて、なぜ、銃を持たなければ自己防衛ができないのかを説明して下さい。
それができないものを「普遍的」とはとても呼べませんよ。

で、あなたがおそらくどこからか引いて来たのであろう、コメントの前半部分にはこうありますね。

「そのような権利は政府以前の自然状態で存在します。自己保存は自然状態の最初の法です。」

あなたの言っている、

「天賦人権説は嘘だということです。基本的人権は神様が与えるものではなく、その国ごとに国家が個別に国民に付与する権利だということです。」

とは正反対のことを言っているものを引いてきて、自説の論拠にするおつもりですか?


テレビは娯楽機械である。

>>http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-4649.html#comment1587
テレビは公務員が公務を遂行するために必要な情報を一切流さず、例えば運転業務中に携帯電話の画面を一目でも見たら即安全運転義務違反で検挙されるように公務員が業務中に一瞬でもテレビ画面を視聴すれば業務怠慢で懲戒対象となる、公務員の公務にとって完全に有害無益な業務妨害発生機械でしか無い。

すべての官公庁施設において公金である設備備品費を費ってテレビを購入してはならず公金である光熱費や経費を使ってNHKへ受信料を支払ってはならずテレビ視聴のための電気代を支払ってはならない。公金を使用してテレビを設置し公金を費消してNHKへ受信料を払っているテレビを公務員が公務時間内に視聴している官公庁施設はすべて公金不正使用の業務上横領罪である。

市町村住民国民はすべての官公庁からテレビを一台残らず撤去するよう住民監査請求しテレビ設置から現在までにかかった公金(購入費アンテナ配線工事費NHK受信料総額電気代総額)の不正流用全額をただちに税金へ返納するよう各官公庁施設設置責任者に対して賠償請求できる。

公務員がテレビを娯楽のために見たければ公務時間外に官公庁施設の職場ででは無く自宅で個人的に契約した自費購入のテレビを見れば良いのである。

すべての公務員は公金不正流用汚職行為を今すぐ止めてすべての官公庁施設から直ちにテレビを廃棄撤廃せよ。

少し整理しますね

前回の投稿のソースはこちらです。
http://communities.washingtontimes.com/neighborhood/reawakening-liberty/2012/dec/16/rights-life-and-keep-and-bear-arms-are-inseparable/

私の最初の言い方はちょっと挑発的でしたかね。要するにこういうことです。アメリカは銃を持つ権利を基本的人権として憲法で保障していますが、日本は保障していません。神様が与える権利なら、それはおかしいってことです。この矛盾に対する答えとして、

1) 実は基本的人権は神様ではなく国家が国民に与えるものである
2) 日本の憲法は欠陥がある。(基本的人権の一つを保障していない)
3) アメリカが基本的人権ではないものを基本的人権と言っているだけ
4) その他

以上があり得ます。ここで白砂青松さんは 3) の立場ですね。しかしながら私が引用した記事の議論自体は非常に強力なもので、人が他者から攻撃された時に自分を守る権利がないと言うのは難しいでしょう。政府は警察を整備するなどで治安を良くすることで国民の命を守ります。それが生存権の保障であることは確かですが、ここで言っているのはちょっと違って、今現在攻撃されている者が自らを守る権利のことです。その時政府があなたの命を守ってくれるわけではないから、自分でその攻撃者を撃退したり殺したりする権利があるだろうって話です。

それは人が持つ基本的な権利には数えられないと証明されれば、この日米の憲法間に存在する矛盾は3)で解決されることになりますね。

相変わらず銃を持つ権利と自己防衛の権利をすり替えていますね

goldbugさん

>前回の投稿のソースはこちらです。

つまりは、一アメリカ人の主張ということでしょ。これで「普遍的」だなどとどうして言えるのです?
しかもこの人は天賦人権説を正しいと考えているらしい、即ち、あなたの主張とは相容れない人ですよ?

で、相変わらず前半と後半で言っていることが変わっていますね。

『アメリカは銃を持つ権利を基本的人権として憲法で保障していますが、日本は保障していません。神様が与える権利なら、それはおかしいってことです。』

こちらは「銃を持つ権利」。

『しかしながら私が引用した記事の議論自体は非常に強力なもので、人が他者から攻撃された時に自分を守る権利がないと言うのは難しいでしょう。』

ところがこちらは「自分を守る権利」。
自分で書いていておかしいとは思わないのですか?

日本国憲法だって、よその国の憲法だって、ほとんどの憲法は「自分を守る権利」を認めていますよ。
日本国憲法には生存権が定められていますし、あなたが前のコメントで書いたようなケースなら、正当防衛の権利もちゃんと認められてもいます。

これがすり替えではないと言いたいなら、何故「銃を持つ権利」が無いと「自分を守る権利」が無いということが言えるのか、まずあなたが論証しなさいと、何度申せば良いのでしょうか。

そして、「記事の議論自体は非常に強力なもの」と言ってますけど、あなたは前のコメントでは「この権利は17世紀のイギリスにまで遡る由緒あるもの」とおっしゃっていたはずですよ?
結局「議論」であって「権利」ではないのですか?
だったら、主要な国ではアメリカしか基本的人権とカテゴライズしてない、「普遍的」とはいえない状況だということですよ。


>それは人が持つ基本的な権利には数えられないと証明されれば、この日米の憲法間に存在する矛盾は3)で解決されることになりますね。

だから、あなたが「銃を持つ権利」と「自分を守る権利」をすり替えなければ、矛盾なんてものは存在しない。それで話は解決です。

で、あなたは何を根拠に1)を主張しているんです?
あなたが参照した文章を書かれた方はそんな主張はしていませんよね。


銃があってこそ身が守れる

力の弱い女性などが屈強な男と対等に渡り合うためには、銃を持つしかないでしょう。正当防衛は日本でも認められますが、その正当防衛を確実に実行できるように政府は担保しなければなりません。銃により身体的な強さによる優劣の差をなくして初めて、自然権である自らを守る権利を保障したと言えるってことでしょうね。

この理由で銃を持つ権利が基本的人権だと認めるなら、神様にもらった権利が日本の憲法にないのはおかしいって事になります。日本の憲法は欠陥があるか、または欠陥ではない、アメリカでは基本的人権だが、日本ではそうではないとするなら、実は基本的人権は神様ではなく国家が与えるものだということになります。結局自然権や基本的人権というのは、学者が考え出した学説の一つに過ぎず、そうした考えを国として採用するかしないかに過ぎない、どんな権利を国民に与えるのかは、その国が恣意的に決められるというわけです。

相手も銃を持つ権利があるんですけど

goldbugさん

> 力の弱い女性などが屈強な男と対等に渡り合うためには、銃を持つしかないでしょう。正当防衛は日本でも認められますが、その正当防衛を確実に実行できるように政府は担保しなければなりません。銃により身体的な強さによる優劣の差をなくして初めて、自然権である自らを守る権利を保障したと言えるってことでしょうね。

銃を持てるから「優劣の差」が無くなると言っているところは詭弁と呼ぶべきですね。
だって、皆が銃を持てるなら、誰かに危害を加えようとする人物もまず間違いなく銃を持つ。だからそれ以外の部分に「優劣」があるなら、それはそのまま残るのですから。

そして、お互いに銃を持っているなら、最初から危害を加える気がある方が圧倒的有利。
現にアメリカでは年間3万人の人々が銃で命を落とし、そのうち1万人以上は意図的に殺されているそうです。一方、日本では誰かに殺される人の数は年間400人台。

銃を持つ権利を与えるということは、他人の「自然権である自らを守る権利」を侵害しようとしているものの行動を容易にさせる結果にしかなっていません。
「犯罪を企てる者に銃を持つ権利を与えない」というのも立派な「自らを守る権利」です。

> この理由で銃を持つ権利が基本的人権だと認めるなら、神様にもらった権利が日本の憲法にないのはおかしいって事になります。

ですから、それならあなたの答えは2)となるはずです。

>日本の憲法は欠陥があるか、または欠陥ではない、アメリカでは基本的人権だが、日本ではそうではないとするなら、実は基本的人権は神様ではなく国家が与えるものだということになります。

文章の意味が不明です。
日本国憲法に「欠陥」はあるのですか? ないのですか?

あなたが1)を主張する根拠はどこにあるのですか?


1)、2)どちらでもいいんです

>銃を持てるから「優劣の差」が無くなると言っているところは詭弁

銃なしでは絶対に勝ち目がない弱い女性でも、銃を使えば屈強な男を倒せる可能性が出て来ますね。そういう意味で自分の身を守る力が与えられるわけです。「優劣の差が大きく縮まる」と言うべきかも知れませんね。

>「犯罪を企てる者に銃を持つ権利を与えない」というのも立派な「自らを守る権利」です。

アメリカでも実はそうですね。犯罪歴のある者、精神疾患のある者は銃を持つ権利はありません。もちろんそれがうまくいっていないのも確かですが、それは法律がちゃんと執行されていないというだけです。マイケル・ムーア監督の映画で描かれていましたが、カナダはアメリカ以上に銃の普及率は高いのに、銃犯罪の発生率は低くなっています。ですから銃があるから銃で死ぬ人がたくさんいると直結すべきではなく、銃犯罪の多さはもっと別の社会的病理に原因を求めるべきなのでしょう。犯罪者に銃を与えたくないが故にすべての銃を禁止するなら、法を守る善良な市民から、身を守る手段を奪ってしまうことになるわけですね。

>あなたが1)を主張する根拠はどこにあるのですか?

積極的に1)に違いないと言っているのではなく、もし銃を持つ権利が基本的人権ならば、1)基本的人権は国が国民に与える、または、2)日本の憲法には欠陥がある、そのどちらかだと言わざるを得ないよねってことです。

どちらでもいいなら、何を言いたいの?

goldbugさん

>銃なしでは絶対に勝ち目がない弱い女性でも、銃を使えば屈強な男を倒せる可能性が出て来ますね。

まずあり得ませんね。
そういう状況で冷静に銃を使えるほどに訓練を受けた人なら、「か弱い」と表現される範疇に入れるべきとは思いませんし、そういう人なら銃を持たない屈強な男から銃を持たずに自分の身を守ることができる。
可能性は似たようなものです。

>アメリカでも実はそうですね。犯罪歴のある者、精神疾患のある者は銃を持つ権利はありません。

どうして「犯罪を企てる者」が「犯罪歴のある者、精神疾患のある者」に限定されてしまうんです? 犯罪者には必ず「初犯」というものがあるんですけどね。
そして、後者のような例を持ち出す方が基本的人権を云々するのは整合性がとれませんが。

一般人に銃を持つ権利を与えないから「犯罪を企てる者」も銃を持つ権利が与えられないと言える。アメリカのその規定が、銃器による犯罪を他の先進国並に引き下げる役には全く立っていないことは、統計が証明しています。

>カナダはアメリカ以上に銃の普及率は高いのに、銃犯罪の発生率は低くなっています。ですから銃があるから銃で死ぬ人がたくさんいると直結すべきではなく、銃犯罪の多さはもっと別の社会的病理に原因を求めるべきなのでしょう。

カナダの銃の世帯単位でみた普及率がアメリカ並(以上というのは初耳です)なのはその通りらしいですが、人口一人当たりの銃の数ではアメリカの3分の1以下程度のようです。
そして、カナダとアメリカでは大きな差があります。
それはカナダは「自己防衛」に銃を使うことを認めていないことです。一般人が携帯するのは違法行為です。
つまり、あなたの言うところの基本的人権を、カナダは認めていないのです。だから、銃の普及率が高くても銃で殺される人がアメリカよりも圧倒的に少ない。

「自己防衛」のために個人が銃を持つ権利を与えることが、「自己防衛」とは逆の効果を示しているのは、アメリカとカナダの実例においても実証されているということでしょう。

>銃犯罪の多さはもっと別の社会的病理に原因を求めるべきなのでしょう。犯罪者に銃を与えたくないが故にすべての銃を禁止するなら、法を守る善良な市民から、身を守る手段を奪ってしまうことになるわけですね。

話が全然つながっていませんが。
なんでアメリカの銃犯罪の多さが社会的病理に原因があるなら、銃を市民に与えないことが身を守る手段を奪うことになるのか、全く意味不明。
そして、なぜ銃が無いと身を守る手段が奪われてしまうなら、日本を始めとする大多数の先進国の国民がちゃんと生き残っているのか、説明して下さいな。

>積極的に1)に違いないと言っているのではなく、もし銃を持つ権利が基本的人権ならば、1)基本的人権は国が国民に与える、または、2)日本の憲法には欠陥がある、そのどちらかだと言わざるを得ないよねってことです。

で、2)だったらどうなるんです?
あなたは何を主張していることになるんですか?

あなたがやろうとしていることが何なのか、さっぱりわかりません。


集合的安全と個別の自衛権

>なぜ銃が無いと身を守る手段が奪われてしまうなら、日本を始めとする大多数の先進国の国民がちゃんと生き残っているのか、説明して下さいな。

誰も銃を持たない社会の方が、銃がたくさんある社会よりも全体として安全なのはその通りなのだと思います。だから日本人は生き残っているのでしょう。集合的な生存権のために個別の自衛権を放棄しようという話でしょうか。広い意味で身を守ることになるというのはその通りでしょうが、目の前に自分を襲ってくる暴漢がいるという状況を考えれば、その時に身を守る術がないということも言えます。そういう状況に置かれてしまった人にとっては、全体的に安全だからと言われても、ちょっと慰めにはならないかも知れません。

まじめに答える気は無いのですか?

goldbugさん

>集合的な生存権のために個別の自衛権を放棄しようという話でしょうか。

ホラホラ、またすり替え。
「銃を持つ権利」を「個別の自衛権」なんて書きかえていけません。
「個別の生存権」を維持するために、「個人で銃を持つ権利」を放棄しようということです。

>目の前に自分を襲ってくる暴漢がいるという状況を考えれば、その時に身を守る術がないということも言えます。

言えません。
言いたいなら、早く、銃が無いと身を守る術がないという論証をして下さい。

>そういう状況に置かれてしまった人にとっては、全体的に安全だからと言われても、ちょっと慰めにはならないかも知れません。

近しい人が銃によって殺されてしまった人にとっては、「個別の自衛権があるんだから」と言われて、慰めになるんですか?
私はならないと思います。

で、結局2)の話しかできないんですか?
天賦人権説は嘘だという主張はどこに行っちゃったんですか?

そして2)だったら、どうしようって言いたいのですか?


銃があってこそ自衛権が保障される

>銃が無いと身を守る術がないという論証をして下さい。

人が誰かに襲われた時、自分を守るためには相手を武力で圧倒するか、少なくとも対等な立場に立たなければなりません。あなたを襲う相手は素手かも知れませんし、バットを持っているかも知れません。ナイフのこともあれば銃のこともあるでしょう。相手が何を持っていても勝てるようにするためには、銃を持つしかありませんね。人は誰かに襲われた時に自分を守る権利があり、それは自然権です。そしてその権利を完全に保障するためには銃を持つ権利を保障しなければなりません。

>「個別の生存権」を維持するために、「個人で銃を持つ権利」を放棄しようということです。

集団的な生存権というのは、国全体の安全、犯罪の少なさなどを言うのだと思います。そして個別の生存権はある人が暴漢に襲われるといったごく限られた状況での生き残りを言うのだと思います。前者は銃を持つ権利を放棄することがその役に立つかも知れませんが、後者ではその逆です。銃を持つ権利を放棄するなら、そこで生き残る可能性は大きく減る事になるでしょう。

>近しい人が銃によって殺されてしまった人にとっては、「個別の自衛権があるんだから」と言われて、慰めになるんですか?

これも銃を持つ権利を放棄すれば全体として安全になるが、そのために個別の自衛権を放棄すべきなのかという問題ですね。でも考えてみれば自然権なら、その方が都合がいいからといって人が勝手に放棄出来るものではありませんね。

>天賦人権説は嘘だという主張はどこに行っちゃったんですか?

銃を持つ権利が基本的人権であり、アメリカの憲法にあって日本の憲法にないことの説明をするなら、その説明の一つが実は神様が与えるのではなく国が与えるという説明です。

銃で殺される人がダントツに多いアメリカで、自衛権が『保障』されている(苦笑)?

goldbugさん

>相手が何を持っていても勝てるようにするためには、銃を持つしかありませんね。

「銃を持つしかないありません」ですって?
あなたの思惑ではなく、ちゃんと論証して下さい。

だいたい、何で「勝てるようにする」必要があるんです?
自分の命を守るなら、実際には「負けなければよい」だけですよ。

>そしてその権利を完全に保障するためには銃を持つ権利を保障しなければなりません。

「完全に保障する」ものであるはずなのに、何で、アメリカに住む人々の命は、あんなに銃で奪われてしまうんです?
あなたの言う「完全に保障する」が誤りという結果しか、現実には存在していませんが。

>前者は銃を持つ権利を放棄することがその役に立つかも知れませんが、後者ではその逆です。

逆ではありません。そのまま役に立っています。

>銃を持つ権利を放棄するなら、そこで生き残る可能性は大きく減る事になるでしょう。

現実を無視したあなたの妄想ですね。
個人が銃を携行する権利を放棄すれば、悪意を持つ者が銃を携行する可能性が大きく減る。その結果として、個人の命が奪われる可能性も大きく減る。
それは、アメリカとその他の先進国との間の銃で殺される人の数という客観的な数字にしっかりと現れています。

>これも銃を持つ権利を放棄すれば全体として安全になるが、そのために個別の自衛権を放棄すべきなのかという問題ですね。

だから「個別の自衛権を放棄」なんてしていません。
あなたはどうしてこのすり替えを止めようとしないのですか?
もっと真面目に書いて下さい。

>銃を持つ権利が基本的人権であり、アメリカの憲法にあって日本の憲法にないことの説明をするなら、その説明の一つが実は神様が与えるのではなく国が与えるという説明です。

ですから、何の説明もなされていません。
あなたは、アメリカのように個人が銃を持つ権利を認めていない国は基本的人権を認めていない国だという説明しか、この場ではしていないではないですか。

自分が何を言わなければならないのか、全くわかっていないのですね。

全体のために個人の権利を捨ててはなりません

>個人が銃を携行する権利を放棄すれば、悪意を持つ者が銃を携行する可能性が大きく減る。その結果として、個人の命が奪われる可能性も大きく減る。

それは間違いないでしょう。しかし個人の命が奪われる可能性が減るというのは、あくまで全体的な統計に過ぎないのです。要はあなたが単純に肉体的にあなたよりも強い、またはバットやナイフや銃を持っていてあなたよりも優位にある者から攻撃を受けた時、その相手を圧倒する、または少なくとも同等の立場に立たなければならない、そこがポイントです。あなたを攻撃する者があなたより強いなら、あなたはそれを凌駕する武力を持てなければなりません。誰かがあなたを攻撃する時、あなたが銃を持てるのか、それともそれを禁止されているのか、どちらがあなたの命が奪われる可能性が高いか、それは言うまでもないでしょう。

全体的な安全の問題ではありません。全体的な安全なら、国家として警察力を強化し、治安のいい国造りをする、そういう話です。しかしここで言っているのは、あなたが暴漢に襲われた時、あなたはどう守られるべきかという話です。政府がいくら治安改善に取り組んだとしても、今あなたを攻撃している暴漢を止めることは出来ません。ですからその時にあなたは自ら自分を守る手段を有していなければなりません。それを剥奪することは誰にも出来ません。そしてその手段とはいかなるものであるべきかです。

みんなが銃を持つことを禁止していれば、暴漢が銃を持っている可能性は低い、それはその通りです。しかしだからあなたは自分より肉体的に強い、またはバットや銃を持つ相手に、素手で立ち向かわなければならないのでしょうか?それは相手と自分の相対的な強さに運命をゆだねてしまうことを意味します。そうした運命から逃れる方法が、唯一銃を持つことです。相手より優位に立つか、または同等の立場に立つ、それが自分を守る上で最低限必要なことでしょう。

結果的に銃で殺される人が多いのはその通り間違いないでしょう。だから自分を襲う暴漢から身を守る手段を放棄すべきかという話です。全体の安全のために個人が身を守る手段を放棄してはならないのです。

で、結局基本的人権は神から与えられたものだと認めるんですね。

goldbugさん

>しかし個人の命が奪われる可能性が減るというのは、あくまで全体的な統計に過ぎないのです。

あなたの言っていた「銃を持つ権利を放棄するなら、そこで生き残る可能性は大きく減る事になるでしょう。 」も全体的な統計に過ぎないはずですよ。統計に則らずに「可能性」を云々するなら、それは単にあなたの妄想ってことになります。

「可能性」を言い出したのは自分だということ、お忘れなく。

>要はあなたが単純に肉体的にあなたよりも強い、またはバットやナイフや銃を持っていてあなたよりも優位にある者から攻撃を受けた時、その相手を圧倒する、または少なくとも同等の立場に立たなければならない、そこがポイントです。

全くポイントではありません。
あなたは「勝てるようにする」必要があると思い込んでいるだけ。
自分の命を守るなら、実際には「負けなければよい」だけだと私が言ったことを全く理解していませんね。

>あなたを攻撃する者があなたより強いなら、あなたはそれを凌駕する武力を持てなければなりません。

「持てなければなりません」などという事実はありません。

>誰かがあなたを攻撃する時、あなたが銃を持てるのか、それともそれを禁止されているのか、どちらがあなたの命が奪われる可能性が高いか、それは言うまでもないでしょう。

言うまでもなく「銃を持てる」方です。
だって、持てるのは自分だけではない、その「誰か」もなんですから。
私を攻撃する気のある誰かが銃を持っていれば、その誰かは簡単に私の命を奪うことができる。
逆に、銃で身を守るには、相手が自分を攻撃することを認識しなければなりませんが、銃を持つ相手は、こちらがそんな認識をする前に命を奪うことができるのですから、銃を持っていても銃で攻撃しようとする相手から身を守るには全く役に立ちません。

>全体的な安全の問題ではありません。

ですから、全体的な安全の問題ではありません。個人の安全の問題です。

>政府がいくら治安改善に取り組んだとしても、今あなたを攻撃している暴漢を止めることは出来ません。ですからその時にあなたは自ら自分を守る手段を有していなければなりません。それを剥奪することは誰にも出来ません。

そんなことはわかっています。誰もそれを剥奪するなんて言ってません。
そして、自分が銃を持っていたって、今自分の命を奪うべく攻撃している暴漢を止めるには何の役にも立ちません。

>そしてその手段とはいかなるものであるべきかです。

相手が銃で殺そうとするという前提に立てば、自分が銃を持っていてもいなくても、自分の命を守る手段など構築しようがない。
「銃を持つ」という手段は大間違いということです。

>しかしだからあなたは自分より肉体的に強い、またはバットや銃を持つ相手に、素手で立ち向かわなければならないのでしょうか?

素手で立ち向かう気など全くありません。
要は「負けなければよい」だけなんですから。

>それは相手と自分の相対的な強さに運命をゆだねてしまうことを意味します。そうした運命から逃れる方法が、唯一銃を持つことです。

銃を持ったって相対的な強さには何の変わりもないどころか、その差は拡大するだけです。
そして、銃を持たないことが「相対的な強さに運命をゆだねてしまうことを意味」するなど、あなたの妄想です。
現実には、多くの人々が銃など持たずとも自分の身を守る手段を講ずることができるし、それを実践しています。

>相手より優位に立つか、または同等の立場に立つ、それが自分を守る上で最低限必要なことでしょう。

銃を持つ権利を皆が持てば、相手(暴漢)が優位に立つ可能性がはるかに高いということです。
自分が優位に立てる要素がありません。
そして、それは客観的な数字に裏付けられた事実です。

>だから自分を襲う暴漢から身を守る手段を放棄すべきかという話です。全体の安全のために個人が身を守る手段を放棄してはならないのです。

だから身を守る手段を放棄してなどいません。
個人が身を守る手段を有効化するために、銃を持つ権利を放棄しているだけです。




これで終わりにします

白砂青松さん、長々おつきあい有難うございました。
まだまだ意見の相違は埋まったとは言い難いですが、勉強になりました。このエントリーのやり取りはここまでにしますね。また次の機会に。

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